尊富士の父親と母親は離婚で兄弟も相撲していた!家族構成は?

伊勢ケ浜部屋の尊富士関はスピード出世で幕内に昇進し、新入幕優勝を果たしました。

今後の活躍が期待できる力士の一人ですね。

そんな尊富士関の実家の父親と母親は離婚して、尊富士関は母子家庭で育ちました。

尊富士関の父親と母親、祖父母、兄弟の名前や年齢など、家族構成についてまとめました。

尊富士の実家

尊富士関は1999年4月9日、青森県北津軽郡金木町に生まれました。

本名は石岡弥輝也(みきや)さんです。

金木町は現在の五所川原市で、作家・太宰治の出身地でもあります。

尊富士関は金木町の芦野公園の桜の下を津軽鉄道の車両「走れメロス号」が通る様子がデザインされている化粧まわしを持っていますね。

この化粧まわしには家族からの「郷土を忘れず、列車にちなんで電車道の相撲で頑張ってほしい」というエールも込められているそうです。

尊富士関は突き・押し相撲が得意なだけに、走れメロス号はピッタリといった感じがしますね。

芦野公園は尊富士関の実家から徒歩10分程の所にあるそうです。

尊富士関は五所川原市立金木小学校に通いましたが、学校と芦野公園も近いです。

太宰治が少年の頃よく遊んだ場所として知られている芦野公園は、尊富士関にとって土俵のように慣れ親しんだ場所でもあるそう。

近くには太宰治の生家の斜陽館もありますが、「金木町と言えば太宰治と尊富士」と言われるほど尊富士関も有名になったのではないかと思います。

尊富士の祖父母

尊富士関が生まれた金木町には母方の祖父である工藤弘美さんと祖母の洋子さんが住んでいます。

2024年3月時点で祖父母の年齢は73歳となっています。

尊富士関が相撲を始めたきっかけは祖父がアマチュア相撲の指導者だったからでした。祖父は国体にも出場したことがあるそうです。

祖父も角界入りを目指しましたが、身長が要件を満たさなかったため断念しました。

入門するには身長も体重も制限があるので、厳しい世界ですね。

尊富士関の現在の身長は184センチですが、2023年発表の幕内力士の身長の平均は185センチなので、尊富士関もそれほど大きいほうではありません。

尊富士関の祖父は力士の夢を尊富士関に託し、相撲を習わせました。

稽古が終わった帰り道にコンビニに寄って、尊富士関に唐揚げやアイスを買ってあげて、尊富士関のやる気を持続させたそうです(笑)。

伊勢ケ浜部屋のホームページを見ると、尊富士関の心の師匠は祖父母となっています。

高校や大学の相撲部監督などではないんですね。祖父母を慕っているのでしょう。

祖父は男の孫4人全員に相撲をやらせたところ、中学まで続けたのは尊富士関一人でした。

しかし祖父は尊富士関の角界入りには最初、反対したそうです。関取になれるのはほんの一握りなので、その厳しさをわかっていたからです。

それでも尊富士関は強くなるためにプロ入りしました。

尊富士関が家族の期待に応えるべく、2024年3月場所で新入幕でありながら劇的な初優勝を果たした時には

祖父は「今日の相撲は最高だ。言葉もない。ほっぺにチューしたい」

祖母は「昨日は眠れなかった。立派になったね」

と言ってうれし涙を流しました。

祖父母にとって尊富士関は自慢の孫ですね。

尊富士の母親

尊富士関の母親の名前は石岡桃子さんで、青森山田高校の元短距離選手でした。

現在、母親は2つの仕事を掛け持ちされています。

尊富士関は母親の遺伝を引き継いだのか、幼少時からクラスで一番足が速かったそうで、現在でも50メートルを6秒台で走るという俊足の持ち主です。

尊富士関の大好物は馬肉で、祖父母の家に行くたびに食べているそうですが、足が速くなったのはそのおかげでしょうか(そんな馬鹿な)。

あのすらりとした足を見たら、確かに足が速そうですね。

尊富士関は力士には珍しい逆三角形の体で、美脚でも注目されています。

 

下の写真で、尊富士関の隣で万歳している女性が母親です。

尊富士関は母親とよく似ていますね。

小さい頃の尊富士関について母親は次のように話しています。

やせていて、風邪もすごくひきやすい子で、しょっちゅう鼻水が垂れていました。もしかしたら体が弱い子なのかなと心配していました

とにかく優しい。4人兄弟なので子育てが大変でしたが、弥輝也(尊富士)が優しい性格だったので、子育てする上で本当に助かりました

引用:NHK

兄弟がちょっかい出しても、『やめてー』と言うぐらいで、全然向かっても行かなかったですし、家族の中の癒しみたいな存在です

引用:Yahooニュース

尊富士関は母親思いの優しい子供で、尊富士関からもらった修学旅行のお土産のティッシュカバーを、母は今でも大切に使っているそうです。

そして兄弟の中では一番優しい性格で、尊富士関の誕生日には「産んでくれてありがとう」とのメッセージが届くそう。

自分の誕生日に母親へこのような感謝を伝えられるなんて素敵ですね。思っていても普通はなかなか言えないものです。

母としては子供がそんな風に育ってくれてうれしいでしょう。

また尊富士関はいつもここ一番でケガをしてきて、「残念だったね」と母が言うと、尊富士関は「いや、ごめんね」「次は必ず頑張るから」と言って、母のほうがいつも励まされてきたそうです。

尊富士関は本当に優しいですね。

尊富士関は取組後に倒れた相手に手を差し伸べ、優しげな笑顔を見せたことがありますが、優しさは他の人に対しても同様みたいです。

尊富士の父親

尊富士関の父親の名前は石岡直樹さんです。

「広報かなぎ」によると、父・石岡直樹さんと母・工藤(旧姓)桃子さんは1996年11月に戸籍届けとなっています。

尊富士の両親引用:広報かなぎ

母親は金木町藤枝の出身になっていますね。

父親の年齢は不明ですが、母親は2023年11月時点で47歳なので、20歳くらいで結婚されたのですね。

しかし月刊相撲の2024年3月号を見ると、尊富士関の家族欄には父の記載がなく、母と兄弟しか書かれていません。

母と父は離婚したのか、死別したのか不明でしたが、尊富士関の幕内初優勝後に明らかになりました。

母によると尊富士関の中学時代に父と離婚し、2つの仕事を掛け持ちしながら、祖父母の助けを借りて子供たちを育ててきたということです。

つまり尊富士関は学生時代から母子家庭になっているんですね。

母親の旧姓は「工藤」ですが、離婚した後も事情があって元夫の姓の「石岡」を名乗っているのかもしれません。

2024年3月場所で引退した照強の場合、小学3年生の時に両親が離婚して、親権は母親が持つことになりましたが、姓名判断の結果を受けて、父親の姓で通しています。

 

尊富士関は地元を離れて鳥取城北高校に相撲留学しました。そのため母の経済的負担は大変だったそうです。

しかし応援したいという気持ちがあり、今でも子供たちのために仕事を掛け持ちしていると言います。

祖父の弘美さんは尊富士関が小さい頃、多忙な父と母に代わり、毎日のように近所の相撲道場へ尊富士関を連れていき、祖母の洋子さんは尊富士関のお弁当を作ってきたそうです。

そのように育ててくれた母や祖父母を見てきたため、尊富士関は母親思いになったのでしょうね。

祖父が言うには尊富士関は「おとなしくて優しい家族思いの子供だった」ということです。

尊富士関は2024年3月場所で新入幕での初優勝を達成しました。

優勝インタビューで母への思いを聞かれると、尊富士関は一層顔をほころばせて「幕内の土俵で勝てるように育ててくれて感謝しきれないです」と答えました。

前日の取組で足を負傷し、車いすで運ばれた尊富士関を地元のパブリックビューイングで見ていた母は涙を流していましたが、このインタビューではうれし涙を流したことと思います。

尊富士関に何の感情も抱いていなかった私ですら(オイッ)、ずっと涙ぐんでいましたから。

同じ伊勢ケ浜部屋の熱海富士関や翠富士関の両親も離婚していますが、角界には母子家庭で育った力士は多いですね。

 

尊富士関は幕内初優勝した後、「一番の親孝行ができたかな」と話していましたが、母の桃子さんも「最高の親孝行です」と話しました。

尊富士関は母親といい親子関係のようですね。

尊富士の兄弟

尊富士関は4人兄弟の次男で、兄と弟、妹がいます。

男の兄弟はみんな似ていますね。尊富士関は子供の頃、おとなしかったみたいです。

尊富士関の兄の名前は樹揮也(じゅきや)さんで、1997年6月か7月生まれです。尊富士関の2つ上です。

尊富士の兄

引用:広報かなぎ

両親が1996年11月に結婚して、1997年6月か7月に兄が生まれたということは、両親はできちゃった結婚だったのでしょうか。

父の言葉で「立派な関取になって欲しい」と書かれていますが、子供が生まれた時から力士にさせたいという希望を父も持っていたのでしょう。

尊富士関の弟の名前は樹衣揮(じゅいき)さんで、2001年1月30日生まれです。

樹衣揮

引用:五所川原市

尊富士関は1999年4月9日生まれなので、学年では弟は1つ下になるんですね。

だから兄弟が並んでいる写真を見ると、尊富士関と弟はあまり年が変わらないように見えるのでしょう。

尊富士関が幕内初優勝した後に、弟がテレビに出ていました。

弟は尊富士関と目元がよく似ています。尊富士関は弟にとっても優しいお兄さんなんですね。

尊富士関の妹の名前は樹映瑠(じゅえる?)さんで、2002年か2003年生まれで尊富士関の3学年下です。

尊富士の妹

引用:広報なかどまり

「石岡弥輝也」の下に「打越奎也」の名前がありますが、中泊町出身の阿武咲関の本名です。

樹映瑠は「じゅえる」と読むのか不明ですが、その読みが正しいのなら、宝石を意味する英語のjewelを漢字で表したのかなと。知らんけど。

上の「広報なかどまり」を見てわかるように、石岡樹映瑠さんが個人戦の小学校3年の部で3位になっています。

尊富士関の妹も相撲を頑張っていたんですね。

尊富士関の祖父が男の孫全員に相撲をやらせたと言っていることから、尊富士関の兄弟はみんな相撲を習っていたのでしょう。

兄と弟は角界入りはしなかったようです。

尊富士関の名前は弥輝也ですが、兄(樹揮也)と弟(樹衣揮)は「輝」ではなく、「揮」の字が使われていることがわかります。「揮」には手を振り回すなどの意味があるようです。

しかし次のような写真がありました。

こちらでは名前が也ではなく、弥也となっていますね。

ウィキペディアを見ても月刊相撲を見ても、本名は弥也になっているので、途中で改名したのでしょうか。

また兄(樹揮也)、弟(樹衣揮)、妹(樹映瑠)の名前には父の名前の「直樹」の「樹」も入っていますね。

尊富士関は優しい性格で、子育てする上で助かったと母が言っていることから、きっと尊富士関は弟や妹の面倒をよく見ていたのではないでしょうか。

忙しくしている母の背中を見て、尊富士関はしっかり者に育ったのではないかと思います。

こちらに兄弟の名前と生年月日をまとめました。兄と妹の生年月日ははっきりしません。

尊富士の兄弟

兄:樹揮也(じゅきや) 1997年6月か7月生まれ

尊富士:弥輝也(みきや) 1999年4月9日生まれ

弟:樹衣揮(じゅいき) 2001年1月30日生まれ

妹:樹映瑠(じゅえる?) 2002年か2003年生まれ

兄弟はみんな成人しているので、母も子育ては一段落したと言った感じでしょうか。

年齢的に兄と弟は学校を卒業し、仕事をされているのではないかと思います。

尊富士の実家の家族構成のまとめ

尊富士関の家族が暮らす実家は青森県五所川原市にあります。

尊富士関の母親の名前は石岡桃子さん、父親の名前は石岡直樹さんです。

母と父は尊富士関が中学の時に離婚しました。

母方の祖父の名前は工藤弘美さんで、祖母の名前は洋子さんです。

祖父はアマチュア相撲の指導者で、祖父の影響で尊富士関は相撲を始めました。

尊富士関は4人兄弟で、兄・樹揮也さん、弟・樹衣揮さん、妹・樹映瑠さんがいます。

兄弟みんな相撲をしていたようです。

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