尊富士の学歴!出身高校や大学の成績と経歴まとめ!

伊勢ケ浜部屋の尊富士関は十両を一場所で通過すると、新入幕の場所で優勝し、数々の記録を刻みました。

そんな尊富士関の学歴はどのようなものなのでしょう。

出身中学や高校、大学での成績、経歴をまとめました。

尊富士の学歴(出身高校と大学)

尊富士の出身小学校

尊富士関は祖父に勧められて、6歳の時に相撲を始めました。

祖父はアマチュアで国体出場経験があり、プロ入りを目指しましたが、身長が足りなかったため断念し、孫の尊富士関にプロ入りの夢を託したのです。

尊富士関は物に釣られて、最初はわけのわからないまま道場へ連れて行かれたそうです(笑)。

そして幼少期は相撲をやめたくてもやめられない状況だったので、毎晩泣きながら練習をしていたそう。

祖父が相撲の指導者でなかったら、尊富士関は相撲をやることはなかったのかもしれませんね。

尊富士関は青森県五所川原市立金木小学校に入学しました。

芦野公園は尊富士関の実家から徒歩10分程の所にあるので、金木小学校も同じくらいの距離でしょうか。

尊富士関は小学4年生の時にわんぱく相撲全国大会個人ベスト8と団体優勝、5年生の時に個人3位の成績を残しました。

4年生の1年間は野球もやっていましたが、わんぱく相撲で入賞したことで、相撲だけに取り組むことになりました。

尊富士関は小さい頃からゲームよりも鬼ごっこや外遊びのほうを好む、体を動かすのが好きな子だったそうです。

小学5年生からはつがる市にある旭富士ジュニアクラブに所属し、相撲を習いました。

当時の尊富士関を指導した監督は次のように見ていたそうです。

相撲は上手だけど、強くはならないだろうな

体が硬くて、腕立て伏せもできなかったし、股割りも足を広げたら頭が動かなかった

負けん気が強くて、一回負けた相手には「次は絶対負けない」という気持ちがあった。鍛えれば強くなるな

引用:毎日新聞

監督が言うように、尊富士関は最初から強いわけではなかったけど、よく努力したそうです。

また優しい性格で、普段は積極的に後輩の面倒も見ていたと言います。

小学生の時に腕立て伏せもできなかった少年が、現在はベンチプレスで220キロも上げられるほどになりました。

尊富士関のがっちりした筋肉を見ると、力強さがわかりますね。

小学6年生の時には青森県・北海道小中学生相撲中泊大会で個人戦2位の成績を残しました。

この大会には尊富士関の妹さんも出場していて、小学3年生の部で個人戦3位となっています。

尊富士の妹

尊富士関は4人兄弟ですが、祖父の影響で4人とも相撲に取り組んでいたのでしょう。

尊富士の出身中学校

尊富士関は五所川原市立金木中学校に入学しましたが、1年生の途中で相撲部のあるつがる市立木造中学校に転校しました。

2つの中学は電車で1時間以上離れているんですね。

転校の理由は通い慣れた道場が近くて、各種大会で団体戦に出場できる環境があったからだそうです。

木造中学校は師匠の伊勢ケ浜親方の母校でもあります。

尊富士関は中学でも旭富士ジュニアクラブで相撲の稽古を続けました。

この道場は毎年夏、伊勢ケ浜部屋が合宿を行っていたため、尊富士関も合宿に参加し、ぶつかり稽古で照ノ富士関らの胸を借りていました。

尊富士関は中学2年生の時に、旭富士杯争奪小学校・中学校相撲大会で個人優勝しました。

この大会には照ノ富士関も駆けつけ、選手たちを激励しているのです。

尊富士関は中学3年生の時に、全国都道府県中学生大会個人3位、全中個人ベスト8、白鵬杯団体優勝・個人3位の成績を残しました。

尊富士の出身高校

尊富士関は鳥取城北高校に進学しました。偏差値は40~61になっています。

この高校は相撲強豪校で、出身者には照ノ富士関や伯桜鵬関、同期では狼雅関がいます。

 

尊富士関が地元を離れたのは照ノ富士関を慕っていたことに加え、地元では稽古相手がいなかったからです。

尊富士関は強くなるために厳しい環境を求めたんですね。

母は息子が地元を離れることは寂しかったそうですが、息子の意思を尊重したそうです。

尊富士関は高校1年生の時からレギュラー入りしました。

そして1年生の時に全国高校金沢大会で個人8強となりました。

3年生の時に全国高校総体個人3位、団体準優勝、選抜高校相撲宇佐大会個人3位となりました。

尊富士関は2年生と3年生の時に膝をケガしたため、思うような成績は残せなかったようです。

鳥取城北高校相撲部の石浦監督(元石浦の父親)によると、ケガに苦しんだ高校時代の尊富士関は「弱音を吐いたことがない。痛いと言わなかった」とのこと。

尊富士関は精神的に強いところがあるようですね。

尊富士の出身大学

尊富士関は日本大学法学部政治経済学科に進学しました。偏差値は50~52.5となっています。

日本大学出身者には遠藤関や翔猿関、金峰山関などたくさんいます。

 

尊富士関の学年ごとの成績は以下のとおりです。

2年生

・全日本大学選抜金沢大会準優勝

・全国学生体重別大会135キロ未満級準優勝

・全国学生選手権団体優勝

3年生

・全国学生選手権団体優勝

4年生

・全国学生選手権団体戦3位

・全国学生相撲個人体重別選手権大会無差別級16強

上の写真で尊富士関の右にいるのが大の里関で、左にいるのが欧勝馬関ですね。

準決勝で日大2年生の尊富士関と日体大1年生の大の里関が対戦し、尊富士関が勝って準優勝したのです。

 

尊富士関は大学2年生の時にも膝をケガしました。

度重なるケガによりタイトルとは無縁だったため、悔しい思いをしたそうです。

照ノ富士に憧れて角界入り

尊富士関の母によると、尊富士関は母に心配をかけまいと角界入りの夢を語ったことはなかったと言います。

大学3年まで教育関係の仕事に就き、親孝行するつもりだったそう。

それでもケガで学生時代は不完全燃焼だったため、角界入りを決意しました。

尊富士関の心の支えになったのは、奇跡の大復活を遂げた照ノ富士関の存在でした。

照ノ富士関は両膝のケガで大関から序二段にまで陥落しながら、再び幕内へ復帰し、横綱にまでなりましたね。

尊富士関も膝を何度もケガしていたため、照ノ富士関がケガを乗り越えて復活した生き様に尊富士関は憧れました。

その照ノ富士関がいることと、関取が多く稽古が厳しいため、強くなれると思って尊富士関は伊勢ケ浜部屋を選んだそうです。

本当に伊勢ケ浜部屋からは次々と関取が誕生していますね。師匠の指導がすばらしいのでしょう。

最近では熱海富士関の活躍も目覚ましいです。

 

北の富士さんもテレビの解説で、伊勢ケ浜親方について次のように話していたことがあります。

「本当にあの人は何を考えているかよく分からんけど、非常に弟子の養成、指導というのは熱心だね。これは感心しますよ」

伊勢ケ浜部屋を見ていたら、入る部屋は大事だなと私はつくづく思います。

朝乃山関も伊勢ケ浜部屋に入っていたら、厳しい師匠の下ではコロナ禍の中、キャバクラには行かなかっただろうし、照ノ富士関に鍛えられてとっくに横綱になっていたのではないかと、時々思うんです。

尊富士関は新入幕の2024年3月場所で初日から11連勝しましたが、12日目に初黒星となりました。

するとその夜、照ノ富士関から電話がかかってきて、「上位陣には立ち合いだけでは通用しない。技術で勝てるように」と、次の対戦相手の若元春関がどんな相手なのか教えてくれたそうです。

普段から照ノ富士関は叱咤激励してくれますが、電話でアドバイスをしてくれたことはなかったそう。

尊富士関はその電話で気持ちを入れ替えることができたと言います。

気にかけてくれる兄弟子がいて、尊富士関は心強いですね。

尊富士関は照ノ富士関について「この人の指導を受けてやっていれば間違いがない」と話していたことがあります。

その言葉で尊富士関が照ノ富士関を信頼していることがわかりますね。

尊富士関は新入幕では幕尻で初優勝しましたが、照ノ富士関も2年半ぶりに幕内に戻った2020年7月場所で幕尻優勝しました。

それを考えると二人の不思議な巡りあわせを感じます。

尊富士の入門後の経歴

伊勢ケ浜部屋に入門した尊富士関は2022年9月場所で初土俵を踏みました。

学生時代にタイトルを獲得できなかったため、前相撲からとなりました。

2022年11月場所で、7戦全勝で序の口優勝。

2023年1月場所で、7戦全勝で序二段優勝。

2023年3月場所では、6勝1敗とし、翌5月場所で幕下昇進。

幕下は通算成績23勝5敗とし、4場所で通過。

2024年1月場所で新十両に昇進し、13勝2敗で優勝しました。

十両では唯一となる中日勝ち越しを決めましたが、新十両中日勝ち越しは1場所15日制定着となった1949年以降史上8人目のことでした。

そして2024年3月場所で新入幕。

初土俵から所要9場所での新入幕となりましたが、年6場所制となった1958年以降の初土俵(幕下付け出しを除く)としては、常幸龍と並ぶ史上最速タイのスピード出世でした。

さらに新十両の1場所通過は史上7人目だったのです。

新十両の1場所通過は遠藤関も有名ですね。

そして尊富士関は2024年3月場所で新入幕となり、初日から11連勝しましたが、それは新入幕力士としては1960年初場所の大鵬以来、64年ぶりの快挙でした。

さらに新入幕での優勝も果たし、新入幕の優勝は1914年5月場所の両国以来、110年ぶりの偉業となったのです。

それは年6場所制となった1958年以降では10場所目での史上最速優勝でした。

その上、敢闘賞、技能賞、殊勲賞も獲得しましたが、一人で三賞を独占するのは2000年九州場所の琴光喜以来、史上6人目となったのです。

さらに大銀杏を結えない力士の優勝は初めてでした。

このように尊富士関は数々の記録を打ち立てた力士になりました。

プロフィール

四股名:石岡→尊富士

本名:石岡弥輝也(みきや)

生年月日:1999年4月9日

出身:青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)

身長:184cm

体重:143kg

所属部屋:伊勢ヶ濱部屋

得意技 突き・押し

血液型:A型

尊富士の学歴と経歴のまとめ

・青森県五所川原市立金木小学校に入学

・五所川原市立金木中学校に入学し、後につがる市立木造中学校に転校

・鳥取城北高校に進学

・日本大学法学部政治経済学科に進学

・2022年9月場所で初土俵

・2024年1月場所で新十両に昇進

・2024年3月場所で新入幕に昇進し、初優勝

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