金峰山の両親と兄弟はどんな人?朝青龍との関係や四股名の由来も!

木瀬部屋の金峰山関はカザフスタン出身力士では初めて関取になりました。

恵まれた体格で突き押し相撲を得意としています。

そんな金峰山関の家族である両親と兄弟はどんな人なのでしょう。

元横綱朝青龍との関係や四股名の由来、入門までの経歴をご紹介します。

金峰山の両親

金峰山関の父の名前はムスリムさんです。母の名前はわかりませんでした。

両親はカザフスタンにいらっしゃるのでしょうが、職業も不明です。

2023年初場所後に母の体調面に不安が出たため、金峰山関は一度帰国し、1年ぶりに両親と再会したそうです。

その時母に「頑張ってね」「髪が伸びたね」などと言われ、金峰山関はまた頑張ろうという気持ちになったでしょう。

お互いに思いやっている様子がうかがえるようです。

兄弟

金峰山関は4人兄弟で、金峰山関が長男です。

次男の名前は「ミラス」さんということはわかりましたが、他の2人はわかりませんでした。

金峰山関は長男なので、しっかりした性格に育ったのではないかと思います。

親孝行のために角界入りする人は多いですが、金峰山関はそうではないようです。

朝青龍との関係

金峰山関は母国では柔道をしていました。元々柔道を学びに日本に行きたいと考えていたそうです。

その考えを変えたのが朝青龍でした。

金峰山関の父と朝青龍が知り合いで、朝青龍が金峰山関を見に来たのです。

そこで金峰山関は朝青龍に「相撲を覚えれば強くなる」「よかったら相撲をすればいいんじゃないか。頑張ってほしい」と言われました。

元横綱として活躍していた朝青龍のその言葉を聞いて、金峰山関は相撲をやりたいと思うようになったのです。

18歳の時に日出高校(現・目黒日本大学高校)に編入学し、相撲を始めました。

そして角界入りした金峰山関を朝青龍はずっと気にしてきたのでしょう。

金峰山関が2021年11月場所で初土俵を踏み、2022年3月場所で幕下優勝した時には、こんなツイートをしています。

自分が金峰山関に相撲を勧めただけに、嬉しさもひとしおだったのでしょうね。

四股名の由来

金峰山を「きんうざん」と思っている人も多いようですが、正しくは「きんうざん」です。

私も最初は「峰」は「ぽう」だと思っていました(;゚∀゚)

金峰山晴樹という四股名は師匠(元・肥後ノ海)の故郷・熊本市にある金峰山と、師匠の大学の同級生・成田晴樹さんから付けられました。

成田さんは元高校横綱で、大学在学中に亡くなっています。

師匠によれば、初めて金峰山関を見た時、大きくて色白だったので晴樹さんを思い出したそうです。

そして

「いつか自分の弟子にこの四股名を付けさせたいと思っていました。これで自分の故郷に恩返しできたような気がします」

と言っていました。師匠の思いが込められた四股名なんですね。

2022年6月には金峰山関は師匠と一緒に熊本市の金峰山に登り、「でかいな~頑張らないと」と思ったそうです。

四股名に恥じない相撲を取らなければいけないと思ったのでしょうか。

入門までの経歴

金峰山関は1997年6月24日、カザフスタン・アルマトイ州に生まれました。

18歳で来日し、日出高校(現・目黒日本大学高校)に転入し、相撲を始めました。

その後日大スポーツ科学部競技スポーツ学科に進学しました。

3年生の時に全国学生体重別大会135キロ以上級準優勝、全日本選手権準優勝。

4年生の時に全国学生体重別大会135キロ以上級優勝、東日本学生選手権優勝、全国学生選手権3位という成績を残しています。

「イェルシン」は金峰山関の本名です。

大学卒業後は木瀬部屋に入門し、三段目100枚目格付け出しで初土俵を踏みました。

プロフィール

四股名:金峰山晴樹

本名:バルタグル・イェルシン

愛称:イェルシン

生年月日:1997年6月24日

出身:カザフスタン・アルマトイ州

身長:191cm

体重:165kg

所属部屋:木瀬部屋

金峰山の両親、兄弟、朝青龍との関係、四股名の由来まとめ

金峰山関はカザフスタンに生まれました。

両親の職業は不明です。

金峰山関は4人兄弟の長男で、朝青龍に勧められて日本で相撲を始めました。

金峰山晴樹という四股名は、師匠がいつかは弟子に付けたかったものでした。

金峰山関は組んで良し、離れて良しとされるので、この先どれだけ伸びるのか楽しみですね。

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