熱海富士の父親と母親は離婚していた!兄弟は妹一人?家族まとめ!

伊勢ケ濱部屋の熱海富士関は表情が豊かでかわいいと人気ですね。

あの北の富士さんも熱海富士関がお気に入りで、「相撲界の大谷選手になる」とまで言っています。

そんな熱海富士関の実家の父親と母親はどんな人で、仕事は何をされているのでしょう。

また兄弟は妹以外にいるのでしょうか。

熱海富士関の家族についてまとめました。

熱海富士の父親と母親

熱海富士関は千葉県で生まれ、母子家庭で育ちました。

小学2年生の時に両親が離婚して、千葉県から熱海に移り住んだのです。

父親についての情報はなく、名前や職業も不明です。

ただ、熱海富士関の本名は朔太郎(さくたろう)なのですが、父親が詩人の萩原朔太郎にあやかって命名したそうです。

きっと父親が好きだったのでしょう。

熱海富士関の母親の名前は武井奈緒さんで、2023年11月時点で年齢は44歳です。

母親は家の近くの温泉施設で働かれているようです。

母に女手一つで育ててもらったからか、熱海富士関は小学校の卒業文集の中で次のように書いています。

「懸賞金の10分の1を親にあげます」

さらに幕下の時には「早く十両に上がって母を楽させてあげたい」と話していたそうです。

熱海富士関は親孝行な息子に育ったようですね。

母親の奈緒さんが映っている動画がありました。

母は「こんなに早く関取になれるとは思っていなかった」と言っています。それだけ熱海富士関の出世が早かったんですね。

熱海富士関は小学6年生の時には体重がすでに100キロ近くあり、中学時代から毎食1人で4合以上のお米を平らげ、1リットルの牛乳パックを飲み干していました。

1日でではなく、1食でですよ。ナントッ!!Σ(゚∀゚ノ)ノ

そのため母は2台の炊飯器を使って、お米を切らさないようにしていたそうです。

大変だったでしょうね。食費だけでも大きかったことが想像できます。

しかし熱海富士関は週末の練習後に皿洗いのアルバイトをして、一人で家計をやりくりする母を支えたそうです。

通学の定期代や遠征費も自分で用意したというのですから、しっかり者で感心な子だなと思います。

熱海富士関のそんな背景を知ったら、ますます応援したくなりますね。

熱海富士関と言えば、にっこりした笑顔が印象的ですが、愛想の良さは母親譲りだそう。

あの笑顔がかわいいと人気があるのもわかります。

熱海富士の兄弟

熱海富士関には妹さんが一人いて、名前が陽奈(ひな)さんです。

妹さんは2005年8月5日生まれで、熱海富士関の3歳下になります。

妹さんは小学4年生の時に兄の背中を追いかけて相撲を始めました。

三島市のわんぱく相撲で優勝し、県大会で2位に入って本格的に相撲に取り組みました。

三島相撲クラブでは兄にぶつかり稽古の相手役をしてもらうなどしていました。

妹さんは兄の本名が朔太郎(さくたろう)であることから兄を「さく」と呼ぶほどで、母親によると「小さいころから仲良しだった」そう。

熱海富士関は妹さんを「ひな」と呼んでいます。

妹さんは中学1年生の時に、全日本女子相撲選手権大会で準優勝しました。

その後、兄と同じ沼津市の飛龍高校に進学。

1年生の時に全日本女子相撲選手権大会で軽量級3位に入り、2年生の時には国際女子相撲選抜堺大会の一般女子軽量級で3位になっています。

さらに高校2年生の11月には、飛龍高相撲部初の女性主将になりました。

過去の実績と練習への取り組み方が他の部員の手本になるというのが、抜擢の理由でした。

そして3年生の10月には、全日本女子相撲選手権で団体戦で準優勝しました。

妹さんも兄と同様に相撲を頑張っているんですね。センスは兄をも凌ぐとも言われています。

熱海富士関も「自分より相撲がうまい」と言っているくらいです。

妹さんは熱海市から通学する交通費をまかなうため、週2回、飲食店でアルバイトをしていたそうです。

やはり妹さんも兄と同じように、母親を助けたいという気持ちだったのでしょうね。

熱海富士関はかわいいと言われますが、妹さんが見ても「かわいい」と思うほどで、いつも応援しているそうです。

仲のいい兄弟でいいですね。

妹さんは高校を卒業後は学生相撲の強豪である金沢学院大に進学し、競技を続けるそうです。

金沢学院大と言えば、炎鵬の母校でもあります。妹さんの活躍も期待できますね。

熱海富士の実家

熱海富士関は千葉県で生まれ、小学校2年生の時に熱海市に移りました。

熱海富士関の祖母・武井みさ子さんは千葉県白井市に在住なので、そこが母親の地元の可能性が高いですね。

2021年7月に大規模な土石流災害が発生した熱海市伊豆山地区から、車で10分程の距離に熱海富士関の実家があります。

熱海富士関は小さい頃から熱海で育っているので、地元への愛が強く、好きな景色は海沿いだそう。

そして昔から熱海の魚を食べていたので、肉よりも魚が好きだそうです。

熱海富士関は「熱海の代表として一番でもいい相撲を取って、地元に元気を届けられたらいい」との思いを胸に頑張っているようです。

熱海富士関が熱海初の関取ということで、地元の応援も大きいでしょうし、その応援がまた力になるのでしょうね。

実際、熱海富士関を応援したいと、「焼鳥さくちゃん」という名前のお店が2022年9月に熱海市に開店しました。

「さく」は熱海富士関の本名朔太郎(さくたろう)から名付けられました。

自分の名前がお店に使われたとなったら、熱海富士関もうれしいでしょうし、変なことはできないという気持ちにもなるのかなという感じがします。

熱海富士の家族まとめ

熱海富士関の父親と母親は離婚し、熱海富士関は母親に育てられました。

父親について名前や職業は不明です。

母親は温泉施設で仕事をされているそうです。

熱海富士関には3歳下の妹がいて、同じように相撲に取り組んでいます。

熱海富士関は妹について「たった1人の妹です。大切ですね。応援してくれるのはありがたいです」と言っています。

仲良し兄弟なんですね。

▼関連記事▼