翠富士の実家の父親と母親は離婚していた!兄弟はいる?

伊勢ケ濱部屋の翠富士関は小兵力士として活躍していますね。

翠富士関の実家の父親と母親どんな人で、兄弟はいるのでしょうか。

翠富士関の家族についてご紹介します。

翠富士の父親

翠富士関の父親は元幕下の青馬(本名・兼平龍誠)ではないかと思っている人もいるようですが、違います。

翠富士関が小中学生の時に通った静岡県焼津市の大島道場で、相撲を教えていたのが青馬さんです

青馬さんも伊勢ヶ濱部屋に入門していました。

1997年春場所で初土俵を踏み、2010年に引退して、現在は広告会社で営業をされているようです。

伊勢ヶ濱部屋のホームページを見ると、翠富士関の心の師匠に「OBの兼平さん」とあるのですが、青馬さんのことですね。

本当の父親の名前など、詳しいことはわかりませんでした。

翠富士の母親

翠富士関の母親の名前は庵原(いはら)恵さんです。翠富士関が幼いころに父親と離婚し、翠富士関を女手一つで育てました。

庵原という珍しい姓は静岡県に多いようですね。

母は「はごろもフーズ」の工場で働いていて、翠富士関が角界入りした後、定期的にツナ缶のセットを送っています。社員割引のようなものがあるのでしょうか。

翠富士関はツナ缶が大好物で、マヨネーズとあえてご飯と一緒にかき込むのが好きだそう。

翠富士関は体が小さいので、母はケガを心配しているようです。親ならそうなりますよね。

翠富士関は女手一つで育ててくれた母を楽にさせたいという気持ちがあったため、入門して3年で十両に上がれなければ引退するつもりだったそうです。

十両以上にならないと給料が出ないので、早く他の道で稼ぐ方法を見つけるほうがいいと思ったのでしょう。

実際は十両に上がるまで3年ちょっとかかりましたが、翠富士関は無事関取になれたことにほっとしたのではないかと思います。

翠富士の兄弟

翠富士関は一人っ子です。でも同部屋の錦富士関と兄弟と思っている人もいるようですね。

二人が並んでいるのを見ると、どことなく顔が似ているのでしょうか。

二人は同期入門で、年も同じ。そして二人とも近畿大学を2年で中退しているという間柄です。

近大相撲部時代からのライバルだけれど、仲が良く、お互い兄弟みたいな感じだそう。

錦富士関は翠富士関について

家族よりもずっと一緒にいて、同じ釜の飯食べているというのがあるんですけれど、やっぱりお互いのことを分かっているのではないか」

と言っていました。

同じ部屋でずっと一緒に稽古していると、仲間意識が強くなるのでしょうね。

翠富士の実家の父親、母親、兄弟のまとめ

翠富士関の父親と母親は離婚しました。

翠富士関は母親に引き取られ、女手一つで育てられました。

母親は「はごろもフーズ」で働いていますが、父親の詳細についてはわかりませんでした。

そして翠富士関に兄弟はいません。

▼関連記事▼