大相撲力士の遠藤関や大栄翔関、翔猿関などが所属する追手風部屋は1938年に創設された後、1965年に閉鎖されましたが、1998に再興されました。
これまで10人以上の関取を輩出しています。
そんな追手風部屋の親方やおかみさんはどのような人なのでしょうか。
子どもについてもご紹介します。
追手風親方のプロフィール
チケット??モギリ担当は、遠藤の親方追手風親方でした。九月場所に続いて二度目のミルキーちゃんとのツーショットをお願い出来ました。親方?ありがとうございました?? pic.twitter.com/C3s0vH5ej3
— たま?? (@sukesabro2020) January 17, 2020
四股名:大翔山直樹(だいしょうやまなおき)
本名:山崎直樹
生年月日:1966年7月7日
出身:石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町
得意技:左四つ、寄り、下手投げ
最高位:東前頭2枚目
敢闘賞1回、金星3個
出身でピンとくる人もいると思いますが、穴水町は遠藤関の地元でもあります。
経歴
金沢高等学校時代にインターハイで準優勝しました。
進学した日本大学では3年生の時にアマチュア横綱、4年生の時に学生横綱を獲得しています。
立浪部屋へ入門すると、1989年1月場所で幕下付出で初土俵を踏みました。
1990年5月場所で新十両に昇進。
その時本名の「山崎」から「大翔山」に改名しました。
十両は2場所で通過し、1990年9月場所で新入幕。
この時一緒に入幕したのが曙、貴闘力、若花田でした。
後に曙と若花田は横綱になっていますね。貴闘力は史上初の幕尻優勝を果たしています。
大翔山は1994年3月場所でケガで休場してから十両に陥落すると、1995年11月場所で引退するまで十両のままでした。29歳の時でした。
最高位は東前頭2枚目で、敢闘賞を1回、金星を3個獲得しています。
引退とともに年寄・中川を襲名し、1997年には友綱部屋に移籍。
1998年、先代追手風親方(元幕内追風山)の所属部屋である追手風部屋を再興するため、追手風と中川の年寄名跡を交換し、11代追手風を襲名しました。
そして2人の内弟子を連れて友綱部屋から独立して、追手風部屋を33年ぶりに復興しました。
これまで遠藤関や大栄翔関、剣翔関など多数の幕内力士を育てています。
ちなみに遠藤関は親方が同郷で日大の先輩なので、追手風部屋に入門したようです。
追手風部屋の力士は親方の現役時代の四股名「大翔山」から取った「大翔」や「翔」という字が四股名に付いていることが多いのが特徴です。
おかみさんや子どもは?
追手風親方は引退した1995年に、先代追手風親方の長女と結婚しました。
つまりこの女性がおかみさんです。
力士が親方の娘さんと結婚するというのはよくあることのようですね。
しかしおかみさんの名前も年齢も明らかになっていません。
画像もありませんでした。
また、追手風親方で検索すると「娘」というキーワードが出てきます。
そのため子どもは娘さんがいるのかと思い調べましたが、一切情報が出てきませんでした。
もしかすると先代追手風親方の娘(つまり現在のおかみ)のことかもしれませんね。
追手風親方は1995年に結婚しているので、現在成人した子どもがいてもおかしくありません。
一般の人なので、公表していないのかもしれませんね。
追手風部屋の親方、おかみ、子どもまとめ
追手風部屋の親方とおかみさん、子どもについてまとめました。
おかみさんと子どもについては情報がないのが残念ですね。
親方はたくさんの幕内力士を育てているので、これからもどんな力士が出てくるのか楽しみです。
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