島津海はハーフ?両親と兄弟はどんな人?家族まとめ!

放駒部屋の島津海関はもろ差しを得意とする力士です。

そんな島津海関はハーフという噂があるようですが、本当でしょうか。

実家の両親と兄弟はどんな人なのでしょう。

島津海関の家族についてまとめました。

島津海はハーフ?

島津海関は1996年5月18日、鹿児島県西之表市(にしのおもてし)で生まれました。

西之表市は種子島北部にある市です。

「島津海」と検索すると「ハーフ」と出てきますが、島津海関がハーフの事実はありません。

色黒なのでハーフなのではないかと思われたのでしょう。

島津海関の元師匠の若嶋津も種子島出身で、色が浅黒かったことから「南海の黒ヒョウ」と呼ばれていました。

島津海関は顔がハーフっぽいということもないですし、両親は日本人の名前です(この後で触れます)。

本当にハーフの力士には御嶽海関や高安関、琴勝峰関などがいます。

 

同じ放駒部屋の一山本関にもハーフの噂があるようですが、一山本関もハーフではありません。

ちょっと外国人っぽい見た目からハーフだと思われたようです。

 

島津海関は子供の時、親によく海に連れて行ってもらっていて、自然の中で遊んで育ちました。

生まれつき色が黒かったのかもしれませんが、日に当たって遊んでいてさらに色黒になったのかもしれませんね。

島津海の両親

島津海関の実家は鹿児島県西之表市現和校区の庄司浦(しょうじうら)にあります。

島津海関の父の名前は中園信乃(しの)さんで、地元の草相撲の強豪力士でした。

後に相撲チームの監督も務めました。

父は現役時代の若嶋津と相撲を取る機会があり、それが若嶋津が興した松ヶ根部屋へ島津海関が入門するきっかけになったのです。

 

島津海関の母の名前は美幸さんです。

両親は地元で安納芋を栽培しているようで、島津海関の化粧まわしにも本人の希望で安納芋が描かれています。

島津海関はお父さんっ子でしたが、保育園の時にわんぱく相撲に出て勝った時には

「大きくなったら横綱になる。そうしたらお母さんを東京に連れて行く」と言ったそうです。

それを聞いた両親は島津海関について「何か秀でた力を見つけて、いい道に行けば成り立つ子だ」と話していたそう。

島津海関が角界入りを決めた時には父親は喜んだけれど、母親は最後まで心配したそうです。

そして島津海関がフェリーに乗って家族の元から離れて行くところを思い出すと、母は今でも泣けてくると言います。

まだ15歳の子供と別れるのは辛かったでしょうね。

でも島津海関が入門してから初めて会った時には、厳しい相撲部屋で育った息子の変わりように、両親は驚いたそうです。

そして島津海関の新十両昇進が決まった時には、母は泣いて電話したそうです。

島津海関は中卒で角界入りし、十両に上がるまで10年かかったので、両親もすごく喜んだのでしょう。

両親は島津海関のおかげでいろんな出会いがあり、経験ができるので、ありがたいと話しています。

島津海の兄弟

島津海関は4人兄弟の2番目です。

兄の名前は(かい)さん、弟の名前は(よう)さん、妹は(のん)さんです。

年は2歳ずつ離れています。

島津海関の名前は空(そら)なので、4人とも漢字一文字なんですね。

種子島という自然豊かなところで生まれた子供たちにピッタリの名前かもしれません。

島津海関は生まれた時は3,170gあり、兄弟の中で一番大きかったそうです。

それでも特に大きかったわけではないんですね。

兄弟の中では島津海関一人が力士になりました。

島津海関は中卒で実家を離れたので、入門後に「家族や家族の面倒を見てくれている兄弟に感謝している」と、お世話になっている人に話したそうです。

自分の家族のことを思いやれる島津海関は素敵ですね。

「島津海はハーフ?両親と兄弟はどんな人?家族」まとめ

島津海関はハーフの噂があるようですが、ハーフの事実はありません。

島津海関の両親は種子島で安納芋を栽培しています。

島津海関は4人兄弟で、2つ違いの兄、弟、妹がいます。

家族みんな島津海関の活躍を楽しみにしているのでしょうね。

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