阿武松部屋の親方とおかみはどんな人?子供はいる?

阿武剋関が所属している阿武松部屋の親方とおかみさんはどんな人なのでしょう。

二人に子供は何人いるのでしょうか。

阿武松親方の経歴もあわせてご紹介します。

阿武松親方の経歴

現在の阿武松親方は現役時の四股名が大道(だいどう)でした。

本名は中西健二さんで、1982年8月21日、東京都に生まれました。

大道は小さい時から体が大きく、兄と姉の影響もあって、小学校4年生の時から葛飾白鳥相撲道場で相撲を始めました。

5年生と6年生でわんぱく相撲東京都大会で優勝。

大道中学校では3年生の時に、全国中学校相撲大会でベスト8になりました。

目黒学院高校3年生の時には、全国高校相撲選手権大会で個人ベスト16になりました。

専修大学では4年生の時に、東日本学生個人体重別選手権大会の無差別級で優勝。

厳しい親方のもとでないとダメだと思い、大道は阿武松部屋に入門しました。

自分に厳しい人のようですね。

大道は2005年3月場所で初土俵を踏みました。

2010年3月場所で新十両に昇進。

同時に四股名を本名の「中西」から「大道」と改めました。この「大道」は母校の大道中学校から付けられています。

大道は野球賭博に関与したことにより、2010年7月場所は謹慎休場となり、翌9月場所で幕下へ陥落しました。

翌11月場所で十両に復帰。

2011年7月場所で新入幕。

相次ぐケガもあり、幕下に陥落した2016年1月場所で負け越し、現役を引退。大道の最高位は東前頭8枚目でした。

引退後に年寄「小野川」を襲名し、2018年1月には年寄「音羽山」を襲名。

2019年9月、師匠の12代阿武松(益荒男)の退職を受けて、師匠と年寄の交換を行い、大道は13代阿武松となり、阿武松部屋を継承しました。

御嶽海関の本名は大道(おおみち)ですが、入門時にすでに大道(だいどう)がいました。

そのため入門当初は本名を四股名とする力士が多い中、御嶽海関は最初から「御嶽海」の四股名を名乗ったわけです。

二人の大道は一度だけ対戦があり、御嶽海関が勝ちました。

阿武松部屋のおかみ

阿武松親方は2014年12月に福岡県出身の松田知代さんと結婚しました、

この時阿武松親方は32歳、妻のおかみさんは30歳なので、2歳違いですね。

2012年の九州場所の時に稽古見学に来たおかみさんと写真を撮り、親方が「写真を送ってください」とお願いしたことがきっかけで交際に発展しました。

稽古見学に来た女性を見染めて、交際・結婚した力士は多いようですね。

阿武松親方はおかみさんを一目見て「めちゃくちゃかわいい」と思ったそうです。一目惚れだったのでしょう。

2014年に結婚しながら、それを発表したのは2016年6月の断髪式の時でした。その時の写真がこちら。

阿武松親方とおかみ(嫁)

引用:日刊スポーツ

結婚の発表が遅くなったのは、好成績を挙げた時に発表しようと考えていたけど、断髪式までタイミングを逸していたからだそうです。

阿武松親方は結婚する前の2014年11月場所では東十両8枚目で9勝していました。

もしかするともう一度幕内に上がってから結婚を発表したい、と考えていたのかもしれません。

しかしその後は負け越しが続き、引退となってしまいました。

阿武松親方とおかみの子供

阿武松親方と妻のおかみさんの間には二人の子供ができました。

2017年ごろに長男が生まれ、2019年ごろに長女が誕生しています。

阿武松部屋のブログに二人の子供が写っていました。

阿武松親方とおかみと子供

引用:阿武松部屋blog

長男は将来、父と同じ力士を目指すということも考えられますね。

でも力士によっては息子にプロ入りしてほしいという人と、してほしくないという人がいるようです。

阿武松親方の場合はどちらなのでしょう。

阿武松親方、おかみ、子供まとめ

現在の阿武松親方は元幕内の大道で、本名が中西健二さんです。

入門時は十両に上がれないだろうと思っていたそうですが、師匠(益荒男)の厳しい指導があって幕内にも上がれたようです。

阿武松親方は現役時代に知り合った松田知代さんと結婚し、一男一女をもうけました。

おかみさんとなった知代さん、部屋付きの不知火親方とともに、阿武松親方は阿武松部屋を引っ張っていっているようです。

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