現在藤島親方となっている元大関の武双山は結婚しているのでしょうか。
武双山の代名詞とも言えるスキンヘッドの理由も気になります。
現役時代の伝説やユルフンの真相、現在についてもご紹介します。
目次
武双山(藤島親方)は独身?
武双山は2004年11月に32歳で引退した時、会見で結婚について質問されると、「現役中は相撲に集中していたので、これからがんばりたいと思います」と答えていました。
それからだいぶん月日がたちましたが、現在も独身のままです。
結婚の意思はあるようですし、後援会からお見合い相手をお世話されたこともあったと思いますが、縁がなかったのでしょうか。
女性との浮いた話も聞こえてきません。
一方、東関親方の高見盛も独身ですが、過去にはプロポーズした相手もいました。しかしうまくいきませんでした。
2人とも結婚したくても、いい相手と巡り合えないといったところでしょうか。
スキンヘッドの理由
武双山は2012年1月にはすでにスキンヘッドになっています。
当初は怖いという評判でしたが、なぜ坊主頭になったかというと、いつも散髪してもらっている人がいなくて失敗されて、仕方なくスキンヘッドにしたと言われています。
でもそれならその後髪が伸びた時に、好きな髪型にすればいいと思うんですが、ずっとスキンヘッドのままですよね。
元々頭が薄かったというのならわかりますが、そうでもなかったですし。
手入れの楽さがすっかり気に入ったのでしょうか。シャンプーいらず、クシいらずですしね。
あの風貌は女性が近づきがたい印象を与えるので、ますます縁遠くなりそうです。
武双山の伝説
武双山には伝説ともいえる挿話があります。
その1. 相撲版巨人の星
武双山は茨城県相撲連盟理事長だった父親に相撲を教えてほしいと頼んだことから、まるで相撲版巨人の星のような毎日が始まりました。
腕立て伏せや四股踏み、中にコンクリートを詰め込んだ特製のボールを抱えて200回の屈伸運動、すり足で200m、そして四股を踏んだ体勢でのうさぎ跳びを課せられたのです。
その後は父親が用意した畳二畳分とも言われる量の朝食を食べきらなければいけませんでした。
昼食は二段重ねの特大弁当を持たされ、帰宅してからはまわしを付けて土俵で稽古をし、最後はタイヤを積み重ねた重さ100kgのものを、6m動かす稽古を30往復していました。
それほど厳しい稽古でも続けられたのは、試合で勝つと父親がおもちゃを買ってくれたり、稽古の時に褒めてくれたりすることが嬉しかったからだそうです。
まさに飴と鞭ですね。
その2. 千代大海との突っ張り合い
元大関の千代大海とは、互いが大関になる以前から壮絶な突っ張り合いなることがよくありました。
2人の対戦は意地と意地がぶつかり合う名勝負と言われたのです。
その様子がわかる動画がこちら。
まるで喧嘩かと思うような激しい張り手合戦です。
相撲協会の理事長には「見苦しい」と言われた一番でしたが、観客を大いに沸かせました。
その3. スピード出世
専修大学を3年で中退して大相撲入りした武双山は、幕下付出で初土俵を踏むと、2場所連続7戦全勝で十両に昇進し、十両も2場所で通過。
そのように出世が早かったため、新入幕の時には髪が伸びるのが追いつかず、大銀杏が結えなくてちょんまげで土俵に上がっています。
千代大海との仲
武双山は千代大海と突っ張り合いの勝負になることが多かったので、2人は仲が悪かったのではと思っている人もいるでしょう。
しかし上の動画の取り組みの後、武双山は鼓膜が破れさえしたのですが、2人は「良い相撲だった」と男同士の握手を交わしたそうですよ。
土俵上ではライバルでも、仲が悪かったわけではないようです。
仲がいい相手だと余計に燃えると言っている力士もいるので、取り組みだけ見て仲を判断するのは間違っていると言えるでしょう。
ユルフンの真相
武双山はユルフンとして批判されることがあったようですが、それは相手を不利にするためわざとしていたわけではありません。
腰痛が原因できつく締められなかったそうです。
一切変化せず、どんな相手とも常に正面から真っ向勝負の力士だったので、ユルフンという卑怯な真似を故意にしていたはずはないでしょう。
ただ、専修大学1年の時の団体準決勝で、1度だけ立ち合いの変化をして勝ったことがあり、その時は後味が悪く、その日の夜は眠れなかったそうです。
だからその後は絶対に変化はしないと決めたのでしょうね。
現在
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武双山は現在藤島部屋の師匠として弟子を指導しています。
また役員候補選挙で副理事に選ばれ、審判部副部長や事業部副部長などを担当しています。
頭が光っているのは何かつけているのでしょうか。
プロフィール
本名:尾曽武人(おそたけひと)
生年月日:1972年2月14日
出身:茨城県水戸市
身長:184cm
血液型:O型
趣味:釣り
初土俵は1993年1月場所で、引退が2004年11月場所でした。
殊勲賞5回、敢闘賞4回、技能賞4回、金星2個を獲得しています。
「平成の怪物」と呼ばれましたが、肩の脱臼など度重なるケガのため、大関昇進までは7年以上、44場所かかりました。
横綱を期待される素質がありましたが、腰痛や足のケガなどもあり、横綱昇進は果たせませんでした。
まとめ
藤島親方の武双山は今も独身のままです。
女性の噂が全くないというのもさみしい気がしますね。
縁がなかったのか、独り身が楽で結婚が嫌になったのでしょうか。
散髪で失敗されたからと、その後もスキンヘッドでいるなんて、もう気に入っているとしか思えません。
いつか結婚報道が出てびっくりしたいものです。
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