千代大海は中学時代ヤンキーで母のために角界入り!現在は?

現在九重親方となっている千代大海は、中学時代ヤンキーで有名でした。

九州全土に知れ渡るくらい悪かったのです。

千代大海の数々の伝説と、角界入りのきっかけとなった母、そして現在までをまとめました。

千代大海は中学時代ヤンキー

千代大海が中学時代ヤンキーだったのは有名で、数々の伝説が残っています。

千代大海は子供の時からやんちゃで、友達より大人と遊ぶほうが好きなませた子供でした。

悪さの片りんを見せたのは小学5年生の時。当時の体重は100kgあり、父から柔道をならっていた千代大海は怖いものなしでした。

家の前にタバコを投げ捨てた高校生を2、3人ぶん投げたのです。

小学生で高校生をやっつけたのだから、さらに自信になったのでしょう(笑)。

中学生になると、よその県の不良がどれだけ強いか見たくて、九州だけでなく愛媛などにも“遠征”に行ったそうです。

また10人以上の高校生相手に、千代大海が1人で喧嘩して勝ったこともあれば、やくざ数人と喧嘩して気に入られ、やくざにスカウトされたことも。

さらに大分県最大で九州でも1、2を争う勢力の暴走族「十二単」を率い、「大分の龍二」の名を九州全域に轟かせました。

どれだけ悪かったのでしょうΣ(||゚Д゚)

母親の美恵さんによれば

「学校の規則を破るのはしばしば。何度も呼び出されて苦労しました」

だそうです。

中卒後はSP志望

千代大海は中学を卒業した後、とび職に就きました。

千代大海は運動神経がよく、中学生の時に市内の相撲大会に出場して優勝しており、大相撲からもいくつか誘いがありました。

しかし相撲は格好悪いという理由で誘いは断り、中学卒業後は幅広ズボンと派手なシャツの格好にあこがれてとびになったのです。

そこでは思うような仕事ができなかったため、さぼるようになっていました。

中学の時から一人暮らしをしていたアパートで、仲間数人とシンナーを吸っていたことも。

千代大海はそのうちスポーツ選手や政治家のボディーガードをするSPになりたいと思うようになりました。

そこで実家の母の美恵さんに「SPになりたい」と報告に行った時のこと。

美恵さんは包丁を持ってきて「今まで一生懸命育ててきたつもりだけど、そんなことを言うなら、この場で死ぬ」と泣き出したのです。

美恵さんは千代大海が力士になることを願っていました。

母に死をほのめかされ、ようやく目が覚めたのでしょう。千代大海は親孝行をするために大相撲に入ることを決めました。

そして唯一名前だけは知っていた千代の富士に会いに行き、入門を志願しました。

その時の千代大海は金髪に剃り込みを入れたリーゼント姿∑(゚Д゚)ファッ⁉︎

千代大海を見た千代の富士は「その頭を何とかしてこい!」と一喝しました。ま、そうなりますよね。

千代大海が翌朝頭を丸めて出直したところ、無事に入門を許可されたのです。

美恵さんが包丁を持ち出した一件は実は芝居で、息子に変わってもらいたいという一心からしたことでした。

息子が希望通り力士になることになって、美恵さんはほっと一安心したでしょうね。

千代大海の母と父

千代大海の父はオリンピック候補にまで上がった柔道家でした。

しかし千代大海が5歳の時に亡くなっています。

母の美恵さんは後に再婚しましたが、千代大海は母の再婚後の戸籍にすぐに入らなかったため、しばらく出生時の廣嶋(ひろしま)のままでした。

2009年5月になってから千代大海は母の再婚相手の「須藤」に改姓したのです。

3人で写っているのがこちら。

千代大海は引退後の断髪式で、美恵さんにハサミを入れてもらいました。

土俵上は女人禁制なので、千代大海は断髪式の途中で土俵を降り、土俵下でハサミを入れてもらったのです。

入門のきっかけを作ってくれた母に、千代大海は何が何でもハサミを入れてほしかったそうですよ。最後にも親孝行をしたんですね。

プロフィール

四股名:千代大海龍二

本名:須藤龍二 旧姓は廣嶋(ひろしま)

生年月日:1976年4月29日

出身:大分県大分市

所属部屋:九重部屋

入門から現在まで

千代大海は3人兄弟の末っ子として生まれました。

子供の時から巨漢で、ついたあだ名が「ブッチャー」。元プロレスラーだった人の名前ですね。

千代大海は九重部屋に入門し、1992年11月場所で初土俵を踏みました。

1995年7月場所で新十両に昇進。

1997年9月場所で新入幕。

1998年5月場所で新小結に昇進。翌7月場所で新関脇に昇進。

1999年1月場所で幕内初優勝を果たしました。

1999年3月場所で大関に昇進。

その後幕内優勝を2回しますが、ケガや糖尿病でカド番が多くなり、2009年11月場所では史上最多を更新する14度目の角番となりました。

その場所で負け越し、2010年1月場所で関脇に陥落。1月場所4日目に現役引退を表明しました。

体力が追い付かず、自分の持ち味の相撲を取れなくなったのが引退理由でした。

千代大海は引退後、年寄「佐ノ山」を襲名。

2016年7月に師匠の13代九重(千代の富士)が死去したことにより、14代九重を襲名し、九重部屋を継承しました。

相撲協会での役職は役員待遇委員で、巡業部副部長と警備本部副部長を務めています。

千代大海は現役時代、武双山との激しい突っ張り合いがよくありましたが、仲が悪かったわけではないようです。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

千代大海の中学時代、ヤンキー伝説、現在のまとめ

千代大海は小学生の時からやんちゃで、中学時代はケンカで明け暮れていました。

中卒後にとび職に就いた後、SPを志しましたが、母の希望を受け入れて大相撲に入門することになりました。

千代大海の父は5歳の時に亡くなり、母は再婚しました。

千代大海は現在、九重部屋の師匠として弟子を指導しています。

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