朝乃山関の現在の師匠である高砂親方は元関脇の朝赤龍です。
元高砂親方の朝潮が定年になったことで、朝赤龍は8代高砂になりました。
それにより朝赤龍の妻が高砂部屋のおかみさんになったわけです。
朝赤龍が結婚した妻はどのような人で、子どもは何人いるのでしょうか。
また、高砂部屋にはかつて何かとお騒がせな横綱の朝青龍もいましたが、朝赤龍の性格はどうなのでしょう。
経歴についてもご紹介します。
目次
朝赤龍(高砂親方)の妻
朝赤龍の妻は同じモンゴル人のデレゲレツェツェゲさんです。
2人は小学校の同級生で、朝赤龍が2006年に帰国した時、ショッピングセンターで再会し、声を掛けたのがきっかけで交際が始まったそうです。
運命の出会いだったのでしょうね。
2人は2012年2月に入籍、2016年2月に帝国ホテルで結婚披露宴を行いました。
今日は朝赤龍関の結婚披露宴。 pic.twitter.com/H4q5SJY6ZZ
— 呼出し 邦夫 (@yobi_kuni) February 14, 2016
入籍から結婚まで4年も空いたのは朝赤龍が十両で低迷していて、幕内に復帰したら式を挙げたいという気持ちがあったからだそうです。
同じ関取とは言え、十両と幕内では全然違いますからね。
しかし結局は十両の時に式を挙げることになりました。
朝赤龍(高砂親方)の子ども
朝赤龍には子どもが3人います。
こちらに奥さんと子どもたちの写真がありました。
朝赤龍関の息子さんは元気いっぱい!(^^;; pic.twitter.com/dtZMHK1eef
— スモートフォン (@azechiazechi) February 4, 2018
1番上が女の子で、2番目が男の子、末っ子は女の子です。
26日発売の初場所号。「新・角界ファミリー」では元関脇朝赤龍の錦島親方一家を紹介。奥様のバトチルンさんは小学校の同級生で、モンゴルに帰国中偶然出会ったことから結婚。3人のお子さんにも恵まれています。https://t.co/q4AVhMXdQW#大相撲中継 #錦島 #角界ファミリー #初場所号 #26日 #SUMO pic.twitter.com/GbauN6CBP5
— NHKG-Media大相撲中継 (@ohzumouchukei) December 10, 2019
比べると成長がよくわかりますね。幸せそうな家族が伝わってくるようです。
性格は穏やか
朝赤龍は温和な性格で多くの人に好かれています。
元朝潮が言うには「真面目で実直、落ち着いた温厚な性格」で、今まで朝潮の手をわずらわせたことは一度もなかったそうです。
また「(朝青龍と)同じモンゴル人なのに、まったくタイプが違う。彼ほどおとなしい人は珍しい。とにかく人当たりがいい」そうです。
問題をしばしば起こしていた朝青龍とは対照的だったようですね。
経歴
プロフィール
四股名:朝赤龍太郎
本名:バダルチ・ダシニャム
愛称:ダシ
生年月日:1981年8月7日
出身:モンゴル人民共和国・ウランバートル市
血液型:B型
朝赤龍は1997年9月、朝青龍と一緒にスカウトされて、高知の明徳義塾高校に入学しました。
実家はウランバートル市内で、朝青龍の家ともすぐ近くだそうです。
昨日アイボ兄弟分高砂親方や高砂部屋の千秋楽パーティーに??顔出させていただきました。
私から????可愛いもん。
高砂親方益々活躍期待しています。
朝青龍と朝赤龍??越える弟子育てて上げて下さい???????? pic.twitter.com/rVxMvEmmtB— Asashoryu第68代横綱朝青龍???????? (@Asashoryu) January 23, 2023
朝赤龍は1999年にアマチュア相撲のインターハイでベスト8になりました。
入門後
朝赤龍は高校を卒業後に若松部屋(当時)に入門し、2000年1月場所で初土俵を踏みました。
2002年7月場所で十両へ昇進し、2003年3月場所で新入幕。
2006年7月場所で新小結に昇進すると、2007年9月場所で関脇に昇進しました。
2012年7月場所で十両に陥落しますが、勝ち越して1場所で幕内に復帰。
しかし2013年1月場所で再び十両に陥落し、その後長く十両にとどまりましとた。
2015年9月場所で17場所ぶりに再入幕を果たしますが、2016年1月場所で再び十両に陥落。
2016年11月場所で負け越したことで、翌2017年1月場所での幕下陥落が決定しました。
これにより1878年から138年にわたって、高砂部屋に関取が所属していたという最長記録が途絶えることになりました。
朝乃山関によると千秋楽パーティーで朝赤龍は「自分のせいです」と泣いていたそうです。責任を痛感したのでしょうね。
2017年3月場所で朝乃山関が新十両昇進を決めたため、高砂部屋の関取不在が1場所で解消された時は、朝赤龍もうれしかったようです。
朝赤龍は幕下で2場所続けて負け越し、2017年5月場所前に引退を発表しました。
この時35歳で、17年間の土俵人生で殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞2回獲得しています。
日本国籍を取得し錦島襲名
朝赤龍は引退後も相撲協会に残るために、日本国籍を取得することにしました。
相撲協会に残るには日本国籍を有していなければならず、その上で年寄名跡を取得し、親方になる必要があったからです。
日本人となることには勇気がいったようですが、それでも日本の相撲界に残りたかったそうです。
朝赤龍は10代半ばで日本に来ているので、心は日本人だそうですよ。
2016年7月に法務省へ申請し、2017年4月に日本国への帰化申請が承認されて、晴れて日本人となりました。
帰化しても日本人名はつけないで、モンゴル名の「バダルチ・ダシニャム」のままです。これにはこだわりがあったのでしょうか。
引退後、協会理事会で年寄・錦島の襲名が承認されました。
この錦島という年寄名跡は時津風部屋所属の力士に受け継がれてきて、2011年4月には豊ノ島が取得したと公表されていましたが、実際は朝赤龍が取得していたのです。
なぜ時津風部屋から高砂部屋へ年寄名跡が渡ったのかはわかっていません。
8代高砂を襲名
7代高砂親方(元朝潮)が、2020年12月に65歳で定年になるのを前に、部屋付き親方だった錦島親方(朝赤龍)と名跡を交換し、高砂親方が錦島親方に、錦島親方が8代高砂となりました。
外国出身の親方が高砂部屋の師匠になるのは初めてで、朝赤龍は責任の重さからすんなり引き受けるというわけにはいかなかったようですね。
朝赤龍(高砂親方)の妻、子ども、性格まとめ
現在高砂親方の朝赤龍は同じモンゴル人女性と結婚し、3人の子どもに恵まれました。
朝赤龍は見た目通り温和な性格なのですね。
無事日本国籍も取得して、引退後も部屋の師匠として頑張っているようです。
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