朝赤龍(8代高砂親方)の妻や子ども!性格は朝青龍とは正反対?

元関脇朝赤龍は錦島親方として高砂部屋で指導していましたが、7代高砂親方(元朝潮)の定年により、8代高砂親方となり高砂部屋を継承しました。

そんな親方の妻はどのような人なのでしょう。子どもも気になりますよね。

高砂部屋にはかつて何かとお騒がせな横綱の朝青龍もいましたが、朝赤龍の性格はどうなのでしょう。

経歴についてもご紹介します。

朝赤龍の妻

朝赤龍の妻は同じモンゴル人のデレゲレツェツェゲさん。

小学校の同級生で、朝赤龍が2006年に帰国した時、ショッピングセンターで再会し、声を掛けたのがきっかけで交際が始まったそうです。

運命の出会いだったのでしょうね。

2012年2月に入籍、2016年2月に帝国ホテルで結婚披露宴を行いました。

入籍から結婚まで4年も空いたのは十両で低迷していて、幕内に復帰したら式を挙げたいという気持ちがあったからだそうです。

同じ関取とは言え、十両と幕内では全然違いますからね。

しかし結局は十両の時に式を挙げることになりました。

子どもは三人

朝赤龍には子どもが3人います。

こちらに奥さんと子どもたちの写真がありました。

1番上が女の子で、2番目が男の子、末っ子は女の子です。

比べると成長がよくわかりますね。幸せそうな家族が伝わってくるようです。

性格は穏やか

朝赤龍は温和な性格で多くの人に好かれています。

錦島親方(元朝潮)が言うには「真面目で実直、落ち着いた温厚な性格」で、今まで親方の手をわずらわせたことは一度もなかったそうです。

また「(朝青龍と)同じモンゴル人なのに、まったくタイプが違う。彼ほどおとなしい人は珍しい。とにかく人当たりがいい」そうです。

問題をしばしば起こしていた朝青龍とは対照的だったようですね。

人柄がわかるこんなツイートもありました。

朝赤龍が錦島親方だった時のことですね。このような人が師匠なら、朝乃山関を安心して任せられそうです。(*´∀`*)

経歴

プロフィール

四股名:朝赤龍太郎

本名:バダルチ・ダシニャム

愛称:ダシ

生年月日:1981年8月7日

出身:モンゴル人民共和国・ウランバートル市

血液型:B型

1997年9月、朝青龍と一緒にスカウトされて、高知の明徳義塾高校に入学します。

実家はウランバートル市内で、朝青龍の家ともすぐ近くだそうですよ。

1999年にアマチュア相撲のインターハイでベスト8になりました。

入門後

高校を卒業後は若松部屋(当時)に入門し、2000年1月場所で初土俵を踏みます。

2002年7月場所で十両へ昇進し、2003年3月場所で新入幕。

2006年7月場所で新小結に昇進すると、2007年9月場所で関脇に昇進しました。

2012年7月場所で十両に陥落しますが、勝ち越して1場所で幕内に復帰。

しかし2013年1月場所で再び十両に陥落し、その後長く十両にとどまります。

2015年9月場所で17場所ぶりに再入幕を果たしますが、2016年1月場所で再び十両に陥落。

2016年11月場所で負け越したことで、翌2017年1月場所での幕下陥落が決定しました。

これにより1878年から138年にわたって、高砂部屋に関取が所属していたという最長記録が途絶えることになりました。

朝乃山関によると千秋楽パーティーで朝赤龍は「自分のせいです」と泣いていたそうです。責任を痛感したのでしょうね。

2017年3月場所で朝乃山関が新十両昇進を決めたため、高砂部屋の関取不在が1場所で解消された時は、朝赤龍もうれしかったようです。

朝赤龍は幕下で2場所続けて負け越し、2017年5月場所前に引退を発表しました。

この時35歳で、17年間の土俵人生で殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞2回獲得しています。

日本国籍を取得し錦島襲名

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朝赤龍は引退後も相撲協会に残るために、日本国籍を取得することにします。

相撲協会に残るには日本国籍を有していなければならず、その上で年寄名跡を取得し、親方になる必要があったからです。

日本人となることには勇気がいったようですが、それでも日本の相撲界に残りたかったそうです。

10代半ばで日本に来ているので、心は日本人だそうですよ。

2016年7月に法務省へ申請し、2017年4月に日本国への帰化申請が承認されて、晴れて日本人となっています。

帰化しても日本人名はつけないで、モンゴル名の「バダルチ・ダシニャム」のままです。これにはこだわりがあったのでしょうか。

引退後、協会理事会で年寄・錦島の襲名が承認されました。

この錦島という年寄名跡は時津風部屋所属の力士に受け継がれてきて、2011年4月には豊ノ島が取得したと公表されていましたが、実際は朝赤龍が取得していたのです。

なぜ時津風部屋から高砂部屋へ年寄名跡が渡ったのかはわかっていません。

8代高砂を襲名

高砂部屋の師匠である7代高砂親方(元朝潮)が、2020年12月に65歳で定年になるのを前に、部屋付き親方だった錦島親方と名跡を交換し、高砂親方が錦島親方に、錦島親方が8代高砂となりました。

外国出身の親方が高砂部屋の師匠になるのは初めてで、責任の重さからすんなり引き受けるというわけにはいかなかったようですね。

まとめ

高砂部屋の師匠となった朝赤龍の妻と子ども、性格、経歴についてご紹介しました。

見た目通り温和な性格なのですね。

3人の子どもに恵まれて、無事日本国籍も取得して、引退後も頑張っているようです。

今後も朝乃山関を見守ってくれるでしょう。(*´∀`*)

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