遠藤関や大栄翔関、翔猿関などが所属する追手風部屋は1938年に創設された後、1965年に閉鎖されましたが、1998に再興されました。
これまで10人以上の関取を輩出しています。
そんな追手風部屋の親方やおかみさんはどのような人なのでしょうか。
子供についても調べました。
追手風親方のプロフィール
引用:日本相撲協会
四股名:大翔山直樹(だいしょうやまなおき)
本名:山崎直樹
生年月日:1966年7月7日
出身:石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町
得意技:左四つ、寄り、下手投げ
最高位:東前頭2枚目
敢闘賞1回、金星3個
追手風親方の経歴
大翔山(追手風親方)は金沢高等学校時代にインターハイで準優勝しました。
日本大学では3年生の時にアマチュア横綱、4年生の時に学生横綱を獲得しました。
そして立浪部屋へ入門し、1989年1月場所で幕下付出で初土俵を踏みました。
1990年5月場所で新十両に昇進。
その時本名の「山崎」から「大翔山」に改名しました。
十両は2場所で通過し、1990年9月場所で新入幕。
この時一緒に入幕したのが曙、貴闘力、若花田でした。
大翔山は1994年3月場所でケガで休場してから十両に陥落すると、1995年11月場所で29歳で引退するまで十両のままでした。
最高位は東前頭2枚目で、敢闘賞を1回、金星を3個獲得しています。
大翔山は引退とともに年寄・中川を襲名し、1997年には友綱部屋に移籍。
1998年、先代追手風親方(元幕内追風山)の所属部屋である追手風部屋を再興するため、追手風と中川の年寄名跡を交換し、11代追手風を襲名しました。
そして2人の内弟子を連れて友綱部屋から独立して、追手風部屋を33年ぶりに復興しました。
これまで遠藤関や大栄翔関、翔猿関など多数の幕内力士を育てています。
ちなみに遠藤関は追手風親方が同郷で日大の先輩なので、追手風部屋に入門したようです。
追手風部屋の力士は親方の現役時代の四股名「大翔山」から取った「大翔」や「翔」という字が四股名に付いていることが多いのが特徴です。
追手風部屋のおかみ
追手風親方は引退した1995年に、先代追手風親方の長女と結婚しました。
そのため追手風親方の奥さんが現在のおかみになるわけですね。
力士が親方の娘さんと結婚するのは昔はよくあったことなのでしょう。
しかし追手風部屋のおかみさんの名前も年齢も公表されていないようです。
おかみさんの画像もありませんでした。
追手風親方の子供
「追手風親方」とグーグル検索すると「娘」と出てきます。
そのため子供は娘さんがいるのかと思い調べましたが、一切情報が出てきませんでした。
もしかすると先代追手風親方の娘(現在のおかみ)のことかもしれませんね。
追手風親方は1995年に結婚しているので、現在成人した子供がいてもおかしくありません。
一般の人なので、公表していないのかもしれませんね。
追手風部屋の親方、おかみ、子供まとめ
追手風部屋の親方は元幕内の大翔山です。
追手風親方は先代追手風親方の長女と結婚し、奥さんが部屋のおかみになりました。
二人の間に子供がいるかは不明です。
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