
イケメン力士として人気だった元豊真将の立田川親方は、すでに結婚してお嫁さんがいます。
どんなお嫁さんで、出会いのきっかけは何だったのでしょうか。そして子供は何人いるのでしょう。
親方の伝説についてもご紹介します。
立田川親方の嫁
立田川親方は現役時代の2011年4月16日、自身の30歳の誕生日に婚姻届けを提出しました。
お相手は名古屋市出身で家事手伝いの梨愛(りえ)さんで、当時33歳でした。梨愛さんのほうが年上なんですね。
5月場所後から二人は新婚生活を送りました。
梨愛さんは一般人なので、旧姓は公表されていません。
写真も公表されていませんでしたが、後に断髪式の時に一緒に写っていました。それがこちら。
豊真将関断髪式。 pic.twitter.com/j93ZdAd1uX
— 埼玉県草加市 居酒屋 闘勝花 (@toshoka) January 31, 2016
結婚当時は「長身のモデル風美人」とだけ紹介されていましたが、確かにきれいな感じの人です。
二人の出会いは、梨愛さんが朝稽古を見に行ったのがきっかけでした。親方が見初めて声をかけたのでしょう。
そして結婚を発表した時はすでに、梨愛さんは妊娠中で12月下旬に出産予定だったのです。
ファンにとってショックだったのではないでしょうか。
入籍後に梨愛さんの妊娠が発覚したので、結婚式は挙げていないそうです。
子供の数
立田川親方には子供が2人います。
2人とも男の子で、長男が真輝(まさき)くん、次男が晃誠(こうせい)くんです。
次男は2013年4月に誕生しているので、2つ違いになります。
2016年1月に行われた断髪式では、親方が子供たちに稽古をつけました。
今さらですが豊真将断髪式。 pic.twitter.com/rIu9qNAEPE
— スモートフォン (@azechiazechi) February 7, 2016
子供たちは最初、まわしを着けるのを嫌がっていたそうですが、いざ土俵に上がると、堂々と四股を踏んだりしたそうです。
知らない人が大勢いる中でやって見せたのですから、なかなか度胸がある子供たちのようですね。私だったら泣き出していそう。
親方は将来、子供たちが相撲界に入ることを願っているそうです。
親方は小結止まりだったので、息子にはさらに上の番付を目指してほしいのでしょうね。
現役時代の所作
立田川親方は現役時代、手刀や塵手水(ちりちょうず)といった所作が、非常に細やかで丁寧だったと言われています。
ちなみに塵手水とは蹲踞(そんきょ)の姿勢で揉み手をしてから拍手を打ち、両手を広げた後、掌をかえす動作のこと。
勝っても負けても、取組後に深々と礼をするところも、相撲ファンには好印象だったようですね。
彼ほど所作を大事に美しく行う力士はかつていなかったそうです。
現在は北勝富士関が礼儀正しいと言われていて、体を90度に折って丁寧にお辞儀しています。立田川親方を真似ているのかもしれませんね。
数々の伝説
立田川親方は現役時代、「土俵の鉄人」と呼ばれた錣山親方(元寺尾)の肋骨をぶつかりげいこで3度も折った伝説を持っています。
錣山親方自ら弟子に稽古をつけていたのですね。
錣山親方は1度肋骨を折られた後、次に胸を出すのが怖くならなかったのでしょうか。 熱心な親方のようですね。
また、立田川親方は現役中の2012年4月、NHKの大河ドラマ「平清盛」に力士役で出演しています。
錣山部屋の他の5人の力士とともに、相撲節会で腕を競い合うという場面を演じたのです。
私は見ていませんでしたが、セリフはなかったけれど、なかなかの演技だったそうです。
大河ドラマに現役力士が出演することは史上初でした。まさに伝説を作ったと言えるのではないでしょうか。
その他、断髪式は角界初の回転式で行いました。
普通断髪式というと、マゲを切られる本人が正面を向いて座ったまま実施されます。
しかし立田川親方は全席の観客に見やすいように、正面、東、向正面、西、正面と向きを変えながら断髪式を行ったのです。
親方の優しい人柄がわかるような伝説の断髪式だったんですね。
プロフィール
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四股名:豊真将紀行(のりゆき)
本名:山本洋介
愛称:ヨウスケ
生年月日:1981年4月16日
出身:山口県下関市(旧豊浦郡豊浦町)
所属部屋:錣山部屋
経歴
入門前
旧豊浦町立豊浦中学校の時には、地元の大会でも優秀な成績を修めていました。
その後、埼玉栄高校に進学。
全国大会に出場して活躍する一方、学年約1600人中1桁の成績を取るなど、勉強でも優秀だったそうです。
そして日本大学に進学し、相撲部に入りますが、蜂窩織炎(ほうかしきえん)の悪化により1年で相撲部を退部しました。
蜂窩織炎とは皮膚の傷などから細菌が侵入し、皮膚とその下にある脂肪組織などに炎症を引き起こす病気のことで、力士に多い病気です。
入門後
同期の大相撲入りに刺激を受け、大学を中退し、錣山部屋に入門しました。
2004年3月場所で初土俵。
2005年1月場所で幕下に昇進と、スピード出世を果たしました。
2006年1月場所で十両に昇進。
同年5月場所で新入幕。初土俵から約2年という速さでした。
2011年11月場所で新小結に昇進。
その後は度重なるケガで、幕下まで転落した2015年1月場所で引退となりました。
最高位は東小結で、敢闘賞5回、技能賞2回獲得しています。
引退後は年寄・立田川を襲名し、錣山部屋付きの親方として後進の指導に当たっています。
立田川親方(豊真将)の嫁、子供、伝説まとめ
元豊真将の立田川親方は年上で一般人の女性と結婚しました。
そして男の子が2人できました。
現役時代は所作がきれいで、大河ドラマ出演や回転式断髪式など、いくつもの伝説を作った力士でした。
息子2人は本当に相撲界に入ることになるでしょうか。楽しみに待ちたいです。
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