
明生関や豊昇龍関の師匠である立浪親方はイケメン親方として有名ですね。
親方は一度離婚していて、現在のおかみさんとは再婚です。
おかみさんである妻はどのような人なのでしょう。子供は何人いるのでしょうか。
元嫁との離婚理由と不倫報道、現在までをご紹介します。
立浪親方(旭豊)の元嫁
本日は、??立浪親方の誕生日でございます??みんなでお祝いをしました!!
力士全員明日からの9月場所で白星を親方に沢山プレゼントできるように頑張ってまいります!??
立浪部屋を応援よろしくお願いします
親方最高です!お誕生日おめでとうございます??#立浪部屋#大相撲#9月場所#立浪親方 pic.twitter.com/mKaoGeTj47— 立浪部屋 (@tatsunamibeya) September 10, 2022
旭豊は現役中の1995年4月、26歳の時に6代立浪(本名・安念治)の長女幸世さんと結婚しました。
養子縁組を結び「安念」姓になり、立浪親方定年後の後継者となったのです。
旭豊は松平健さんに似ていることから現役時代、「角界の暴れん坊将軍」「角界のマツケン」と呼ばれていました。
似ているというだけで本人が結婚式に来てくれたそうです。すごいですね。
1999年2月には6代立浪が定年となるため、1月場所中に引退し、年寄・7代立浪を襲名して立浪部屋を継承しました。
しかし引退相撲の後、その利益を先代夫妻に持ち逃げされ、金銭面でのごたごたが原因で夫婦間にも亀裂が生じ、立浪親方(旭豊)は先代の自宅から出て別居しました。
そして自身の不倫問題が発覚すると先代が激怒。
先代から部屋の明け渡しと、年寄株譲渡金として1億7500万円の支払いを求める訴訟を起こされましたが、立浪親方が勝訴しています。
幸世さんとは3年ほどの別居生活を経て、2003年2月に離婚し、養子縁組も解消しました。
夫妻の間には長男がいましたが、親権は幸世さんが持つことになりました。
再婚相手
立浪親方は2004年11月、36歳の時に茨城県出身で25歳の浅島美紗子さんと再婚しました。
こちらに一緒に写っている写真があります。
新十両に昇進した明生は茨城県つくばみらい市の立浪部屋で会見。「同期(2011年夏)の照ノ富士と戦える位置に早く上がりたい」。会見後に師匠の立浪親方(元小結旭豊)とおかみさんとともに笑顔で記念撮影。しこ名(本名)の由来は「明るく生まれて、明るく生きてほしい」とのことです。 pic.twitter.com/PZVmOMFcGt
— 朝日新聞 大相撲担当 (@asahi_osumo) September 28, 2016
きれいな人ですね。
離婚してからわずか2年足らずでの再婚ですが、交際期間は約4年ありました。
美紗子さんはすし店の娘さんで、ゴルフ帰りに訪れた立浪親方が美紗子さんを気に入り、交際に至ったそうです。
美紗子さんは親方と出会うまで相撲には全く興味がなく、国技館にも行ったことがなかったそうですよ。
だから当然現役時代の旭豊も知りませんでした。
そんな状態でいきなりおかみさんになったわけですから、相撲部屋での仕事はわからないことだらけだったそうです。
親方は無口なため、弟子たちにいろいろ教わったそうです。最初は大変だったでしょうね。
おかみさんは部屋や親方のスケジュール管理はもちろん、人間としての基本を弟子に身につけさせることもするそうです。
時には悩みがありそうな弟子をドライブやカラオケに連れて行き、悩み事を聞くこともあるとか。
親方が相撲の指導をするのが仕事なら、おかみさんは弟子の精神面を支える役割があるんですね。
再び不倫発覚
2018年1月、立浪親方はスレンダー美女との不倫を『FLASH』によって報じられました。
相手の女性は銀座の飲食店に勤めていて、国技館すぐそばの賃貸マンションで密会を重ねていたそうです。
女性の私からしたら、一回りほど下の女性と再婚していながら、ほかの女性と密会とはなんてことを!と思うんですけどね。
さすがイケメン親方だけあってモテるんでしょうが、不倫を知ったおかみさんは心穏やかではなかったでしょう。
でも離婚はしていないので、親方が謝罪したのか、しらを切ったのでしょうか。
子供は何人?
立浪親方と再婚の美紗子さんとの間には女の子が一人、男の子が一人います。
名前は公表されていないようです。画像も見当たりませんでした。
でもイケメン親方と美人おかみの子供なので、きっと二人ともきれいな顔じゃないかなと想像できますね。
男の子のほうは親方と同じ道を選ぶのかが気になります。
経歴
プロフィール
四股名:旭豊勝照(あさひゆたかかつてる)
本名:市川耐治
愛称:角界の暴れん坊将軍
生年月日:1968年9月10日
出身:愛知県春日井市
現役時代
いやいや、旭豊関も人気ありましたよ… pic.twitter.com/E8Otf5auEa
— やころく (@yakotoro) July 24, 2020
立浪親方は中学、高校は水泳部でした。
本当は板前になりたかったそうですが、身長が高かったことから父に角界入りを勧められ、高校卒業後に父の知人だった元大関・旭國斗雄の大島部屋に入門しました。
1987年3月場所で初土俵。
リウマチ熱や左足のケガに苦しみながらも、1990年5月場所で幕下に昇進。
1993年11月場所で新十両に昇進。
1995年3月場所で新入幕を果たしました。
1996年5月場所で小結に昇進。
1999年1月場所中、部屋を継ぐため引退。
最高位は東小結で、殊勲賞1回、敢闘賞1回、金星4個獲得しています。
ちなみに断髪式にも松平健さんが登場したそうです。もう友達と言えるのではないでしょうか(笑)。
引退から現在まで
1999年2月、年寄・立浪を襲名して立浪部屋を継承しました。
2007年に立浪部屋を両国から茨城県つくばみらい市へと移転。
2011年、弟子が大相撲八百長問題に関与した責任で、委員から主任へ降格されました。
2021年、立浪部屋を茨城県つくばみらい市から東京都台東区へ移転。
現在立浪親方は再び委員に復帰し、巡業部・指導普及部の仕事に就いています。
立浪親方(旭豊)の嫁、元嫁、子供まとめ
元旭豊の立浪親方は現役中に師匠の娘さんと結婚し、男の子ができましたが、不倫などがあって離婚しました。
その後一般女性と再婚し、一男一女をもうけました。
現役時代女性に人気があった旭豊は、立浪親方になってもモテているようですね。