相撲で大量に塩まきする歴代力士まとめ

大相撲では土俵での塩まきが見られますが、力士によっては大量にまく人と、少ししかまかない人がいます。

昔から注目を浴びるのは塩を大量にまく力士ですよね。観客から大きな拍手をもらっています。

ここでは歴代の大量に塩をまく力士をまとめました。

塩まきが大量の歴代力士

若秩父

まず、塩まきが大量だった力士は元関脇の若秩父です。

若秩父は1939年3月16日、埼玉県秩父市に生まれました。本名は加藤高明(かとうこうめい)さんです。

1954年5月場所で花籠部屋から初土俵を踏み、1958年9月場所で新入幕を果たしました。

1958年九州場所で負け越し、ゲン直しとしてお酒を飲んでいた時のことです。

絡んできた泥酔客を若秩父が振り払おうとして、吹っ飛ばしたことが暴力と報じられました。

その鬱憤を晴らそうと1959年初場所から大量の塩をまき始めたのです。

その成果があったのか、その場所では10勝し、金星と敢闘賞も獲得しました。

塩などは 安いもんだと 若秩父」と川柳に詠まれるくらい、若秩父の大量の塩まきは有名になりました。

若秩父は大関昇進を期待されましたが、糖尿病を患ったことでかないませんでした。

1968年11月場所で引退し、花籠部屋付きの親方として後輩の指導に当たりました。

2004年3月場所で定年退職し、2014年9月に肝不全で75歳で亡くなっています。

青葉山

次は元小結の青葉山です。

青葉山は1950年4月3日、宮城県黒川郡大郷町に生まれました。本名は高橋幸一(こういち)さんです。

1968年11月場所で木瀬部屋から初土俵を踏み、1974年5月場所で十両に昇進しました。

青葉山は十両に上がった時から大量の塩をまいていたようです。その理由は明らかではありません。

テレビドラマのセリフにも「青葉山みたいに塩をいっぱい持って来い」と、名前が塩まきの代名詞として登場するほどでした。

しかし当時は1973年に始まったオイルショックにより、トイレットペーパーの買い占め騒動が起きていた頃です。

そのため大量の塩まきが物資の無駄であるとして批判を受けることもあったのです。

青葉山は1975年11月場所で新入幕を果たし、幕内上位に定着した時期もありましたが、糖尿病を患い、1982年9月場所で引退しました。

その後木瀬部屋付きの親方として後進の指導に当たりましたが、持病の糖尿病が悪化し、1997年9月に47歳で亡くなりました。

水戸泉

次は元関脇の水戸泉です。

水戸泉は1962年9月2日、茨城県水戸市に生まれました。本名は小泉政人(まさと)さんです。

1978年3月場所で高砂部屋から初土俵を踏み、1984年5月場所で十両に昇進しました。

その場所の8日目から付け人に「勝ち星に恵まれない時はせめて塩だけでも景気よくまいたらどうですか」と言われて、大量の塩をまくようになったのです。

その効果があったのか、9勝して勝ち越しました。

水戸泉が1回に取る塩の量は600gにもなり、「ソルトシェーカー」という愛称までつきました。

1984年9月場所で新入幕を果たし、1992年7月場所で平幕優勝も達成しましたが、ケガが多く、2000年9月場所で引退しました。

その後高砂部屋付き親方として指導していましたが、2002年に高砂部屋から分家独立して錦戸部屋を創設しました。

北桜

次は元幕内の北桜です。

北桜は1971年12月15日、広島県広島市に生まれました。本名は向英俊(むこうひでとし)さんです。

1987年3月場所で北の湖部屋から初土俵を踏み、1998年7月場所で十両に昇進しました。

北桜が大量に塩をまき始めたのは2000年7月場所の対水戸泉戦でした。

水戸泉には初対戦時に負けていたため、気迫で負けないように対抗して多くの塩をまいたのです。

水戸泉は翌9月場所限りで引退しましたが、北桜を「ソルトシェーカー」の後継に指名し、観客に喜ばれる塩まき法を伝授しました。

北桜は2001年7月場所で新入幕を果たし、その時の西前頭9枚目が最高位でした。

そして幕下に落ちていた2010年3月場所を目前に引退しました。

その後北の湖部屋付き親方として後進の指導に当たっていましたが、2012年に式秀部屋を継承しました。

旭日松

次は元幕内の旭日松です。

旭日松は1989年7月21日、千葉県野田市に生まれました。本名は松嶋広太(こうた)さんです。

2005年3月場所で大島部屋から初土俵を踏み、2011年11月場所で十両に昇進しました。

2012年5月場所を初日から10連敗したことで、旭日松は「塩でも思いきりまいたら相手が怯むかもしれない」と考え、11日目から大量の塩まきを始めました。

そのかいがあったのか、10連敗の後5連勝でその場所を終え、2012年9月場所で新入幕を果たしました。

前頭11枚目まで上がりましたが、2017年7月場所からは幕下が続き、2021年5月場所で三段目に陥落して引退しました。

その後大島部屋付き親方として後進の指導に当たっています。

照強

次は元幕内の照強です。

照強は1995年1月17日、兵庫県南あわじ市に生まれました。本名は福岡翔輝(しょうき)さんです。

2010年3月場所で伊勢ヶ濱部屋から初土俵を踏み、2017年1月場所で十両に昇進しました。

照強は十両の時から大量の塩をまき始めました。

照強は小兵のため、体の大きな対戦相手にびびらないように、気合いを入れるためだったそうです。

2019年3月場所で新入幕を果たし、西前頭3枚目まで上がりましたが、ケガや持病の糖尿病で幕下に陥落し、2024年3月場所で引退しました。

引退後は相撲協会に残らず、退職しています。

天空海

最後は現役力士の天空海です。

天空海は1990年11月6日、茨城県東茨城郡大洗町に生まれました。本名は高畠祐貴(たかはたゆうき)さんです。

2010年11月場所で立浪部屋から初土俵を踏み、2018年1月場所で十両に昇進、2020年11月場所で新入幕を果たしました。

その後十両に落ちていた2023年5月場所から、大量の塩をまき始めました。

天空海は同じ茨城県出身の水戸泉にあこがれていたそうです。いつか自分も同じように塩をまきたいと思っていたのでしょう。

塩のまき方は照強に習ったそうです。

 

以上、大量に塩をまく歴代力士をご紹介しました。

対照的に塩まきが少ない現役力士に宇良がいます。宇良は指の第1関節くらいまでしか塩を持ちません。

大量に塩まきする歴代力士まとめ

塩を大量にまく歴代力士7人をご紹介しました。

古くは若秩父から現在の天空海まで、塩まきで観客を沸かせる力士はいろいろいるものです。

塩を大量にまくだけでなく、体に塩を振りかけたり、ちょっとなめたりする力士もいて、個性が出るのが面白いですね。