寺尾(元錣山親方)の若い頃は?病気で激やせしていた!

元錣山親方の寺尾は現役時代、イケメン力士として女性に人気がありました。

若い頃は相当モテたようですが、どんな力士だったのでしょう。

引退後は激やせしたと言われていましたが、病気が原因でした。

寺尾(元錣山親方)の若い頃

寺尾は1963年2月2日、東京都墨田区で生まれました。本名は福薗好文(ふくぞのよしふみ)さんです。

父は元関脇鶴ヶ嶺の福薗昭男さん、母は寺尾節子さんです。寺尾という四股名は母の旧姓から付けたのですね。

節子さんは「蔵前小町」と呼ばれるほどの美人だったそうです。

寺尾は3人兄弟の末っ子で、長兄は元十両鶴嶺山、次兄は元関脇逆鉾です。

赤ちゃんの頃の寺尾を見て、外国人の見学者が「a baby」と言ったところ、兄達が「アビ」と聞き違え、それが角界での寺尾の愛称となりました。

この愛称は現在、愛弟子の阿炎関の四股名となっています。

母を慕っていた寺尾は、母が死の間際に「相撲取りになって」と言ったことで、角界入りすることを決めました。

父が師匠を務める井筒部屋へ入門し、1979年7月場所で初土俵を踏みました。

初土俵の時に体重は85kgしかありませんでしたが、5年かけて100kgまで増やしたそうです。

寺尾は得意の突っ張りで関脇まで昇進しましたが、2000年に十両に陥落し、その後幕内復帰するも再び十両に陥落。

幕下陥落が必至となった2002年9月場所で引退しました。

敢闘賞3回、殊勲賞3回、技能賞1回、金星7個獲得しています。

長兄は十両止まりでしたが、寺尾は次兄の逆鉾とともに幕内兄弟関取として活躍していたのが印象的です。

もろ差しが得意だった逆鉾と突っ張りが得意だった寺尾で、顔も似ていない兄弟でした。

寺尾は現役時代、イケメン力士として女性ファンの人気が高かったのも特徴です。

当時からメガネをかけていることがありましたが、「お相撲さんなのにメガネが似合う」なんて女性ファンに言われていました。

私は寺尾をイケメンと思ったことはありませんが(オイッ)、同じ昭和38年生まれの元関脇琴ヶ梅と仲が良かったのを覚えています。

引退後

寺尾は引退後は年寄・錣山を襲名し、井筒部屋の部屋付き親方を経て、2004年1月に錣山部屋を創設しました。

そして2017年12月、時津風一門から離脱した後、2018年9月に二所ノ関一門に加入しました。

2020年8月に阿炎関の新型コロナウイルス対応ガイドライン違反行為により、寺尾は指導監督責任を問われ、6カ月20%の報酬減額となりました。

この時は師匠として阿炎関を厳しく注意したようです。

 

激やせは病気が原因

寺尾は現役時代はソップ型で元々細身でしたが、近年は激やせしたと言われていました。

そのため病気ではないかと思っていた人もいたようですね。

実は寺尾は若い頃から不整脈の持病があり、2015年に検査入院したことがあるのです。

さらに2022年11月場所も不整脈などが原因で休場し、入院しました。

次兄の逆鉾は生前「弟は心臓が強くない」と心配していたそうですよ。

逆鉾は2019年、58歳の時に膵臓がんで亡くなっていますし、長兄の鶴嶺山は心臓の持病があり、2020年に60歳で亡くなっています。

さらに母の節子さんは寺尾がまだ高校生の時、42歳で子宮がんで亡くなっているのです(父の鶴ケ嶺は77歳で逝去)。

母も兄二人も若くして亡くなっていたんですね。

寺尾は上の写真のように入場券のもぎりを担当したり、NHKで大相撲の解説を務めていましたが、2023年11月場所では再び持病の不整脈で入院しました。

そして2023年12月に容体が急変し、60歳でうっ血性心不全により死去してしまいました。

親方になってからも人気だっただけに、ショックを受けた人が多かったようです。

寺尾(元錣山親方)の若い頃のまとめ

元錣山親方の寺尾は3兄弟の末っ子として生まれ、突き押し力士として活躍しました。

またイケメン力士として女性ファンが多くいました。

引退後は錣山部屋の師匠となり、阿炎関などを育てました。

寺尾は近年激やせしたと言われていましたが、若い頃から不整脈の持病があったことが原因のようです。

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