元横綱の北の富士さんは横綱時代、相当年収があったと思われます。
引退後はテレビやラジオの大相撲解説を務めていましたが、どのくらいの年収があったのでしょう。
北の富士さんの若い頃も調べました。
北の富士プロフィール
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本名:竹澤勝昭
生年月日:1942年3月28日
出身:北海道旭川市
血液型:O型
優勝:幕内最高優勝10回
殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞3回
初土俵:1957年1月場所
入幕:1964年1月場所
引退:1974年7月場所
北の富士の年収はいくら
北の富士さんはNHKで大相撲の解説を長くされていましたが、その他でテレビで見ることはほとんどありませんでした。
年収はいくらなのか気になって調べてみると、ヤフー知恵袋にこんな回答がありました。
一説によると北の富士の相撲解説のギャラは、NHKから年間2500万円支払われているようです。それに北の富士は、東京と北海道にちゃんこ屋を経営していますから悠々自適の生活をしています。
NHKから年間2500万円も!そんなにもらっているの?驚くような金額です。
ただ東京に「すもう食酒屋 北の富士」のお店がありますが、北の富士さんが経営していたのかは不明です。
また北海道札幌市にあった北の富士さん所有の「ちゃんこ居酒屋 北の逸品」は閉店しました。
ちゃんこのお店がなくても、北の富士さんはかなりの年収があったようですね。
北の富士の若い頃
夜の帝王
昔はお相撲さんというだけでモテて、それが大関・横綱ならすっごくモテたようですね。
北の富士さんは若い頃イケメンだったので、多くの女性が近寄ってきたのでしょう。相当女遊びも激しかったようです。
そのため「夜の帝王」や「プレイボーイ横綱」などというあだ名までもらいました(笑)。
北の富士さんによれば懸賞金は「飲んで使ってしまった。遊ばないで貯めたらビルが1軒くらい建ったかなと思うよ」と。
大関、横綱ともなればたくさんの懸賞がつきますから、相当な金額をお酒や女性に使ったのは確かでしょう。
「夜の帝王と呼ばれて飲まないわけにはいかない」とまで思ったそうで、ますます飲酒に拍車がかかったようです。
大関で優勝してたくさんのご祝儀が入った時には豪遊し、稽古もろくにしないこともあったそうです。
横綱の時はケガで休場中に女性とハワイ旅行をしていたことが明るみに出て、協会から厳重注意を受けたこともあります。
さらには現役当時からキャバレーやちゃんこのお店を経営するなど、副業もしていました。
ちゃんこならともかく、キャバレーって。( ̄▽ ̄;)
今なら力士の副業は禁止されていますが、当時は規則が緩かったみたいですね。
その上大関時代にはレコードも発売。それが50万枚売り上げたと言うんですから驚きです。
北の富士さんが力士のレコード歌手第一号になりました。
イケメンで強くて歌もうまいとなったら、女性が放っておくはずがありませんよね。
拳銃所持で書類送検
1965年5月、当時平幕だった北の富士さんは、ファンから海外土産としてもらった拳銃を所持していました。
お土産として欲しい物を尋ねられて、冗談で拳銃と答えたらファンが真に受けたようです。
北の富士さんは怖くなって親方に拳銃を預けました。
しかし元大関若羽黒が拳銃不法所持と、拳銃密売容疑で逮捕されたため、相撲協会は他にも拳銃を持っている力士がいるなら、自主的に届けるように厳重通達したのです。
すると拳銃を預かっていた親方が警察に提出し、北の富士さんは出頭。書類送検されました。
しかし相撲協会からは処分されずに済んだのです。
お土産としてもらっただけだから、おとがめはなかったのでしょう。今だったら注意くらいでは済まなかったかもしれませんが。
それにしても怖い話ですね。
他にも反社会的勢力の人たちとの付き合いで、新聞に書かれ問題になったこともあります
北の富士さんによれば「私ほど現役時代に協会に迷惑をかけたヤツはいないでしょう」と。
なかなかすごい人です。
北の富士の年収と若い頃のまとめ
元横綱の北の富士さんはNHKからかなりの年収をもらっていたようです。
若い頃は相当遊んで、お金も豪快に使ったみたいですね。
引退後は大相撲の解説をテレビとラジオで務めていました。
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