元横綱稀勢の里は引退後、二所ノ関部屋の師匠になりました。
久しぶりに誕生した日本人横綱ということもあって現役時代は大人気でしたが、二所ノ関親方となった現在でも相変わらず人気があります。
二所ノ関親方を育てた両親や、姉はどのような人なのでしょう。
子供の時はどんな感じだったのでしょうか。
二所ノ関親方の父と母
稀勢の里Vに両親も歓喜、父・貞彦さん「予感があった」、母・裕美子さん「もらい泣きした」 https://t.co/dgeD6v6pvg #sumo #スポーツ新聞 pic.twitter.com/9l1peQEXa6
— スポーツ報知 (@SportsHochi) March 26, 2017
二所ノ関親方の父親は萩原貞彦さんで、母親は裕美子さんです。上の写真の二所ノ関親方の後ろで写っている二人がそうです。
貞彦さんは晩婚で、40歳の時に二所ノ関親方が生まれました。
貞彦さんは元アマチュアボクサーで、脱サラしてIT関連の仕事を始めました。
格闘家からIT関連の仕事への転職とはすごいですね。
自分がボクシングをしていた経歴から、息子が相撲でだめだった場合、ヘビー級のプロボクサーに育てるため、米国に留学させることも考えていたそうです。
自分が叶えられなかった夢を子どもに託したいのは、親ならありがちですね。
そして貞彦さんの父、つまり二所ノ関親方の祖父は画家で、貞彦さんは祖父が62歳くらいの時に生まれています。
2代揃って子供が遅くにできているのですね。
さらに曾祖父は彫刻家だったそうです。彫刻家、画家と来て格闘家という流れもすごいです。
貞彦さんは2018年11月に胃がんの手術を受け、胃の3分の2を切除しています。
現在は転移や後遺症もなく元気に過ごしているようなので、二所ノ関親方も安心でしょうね。
母の裕美子さんは貞彦さんの9歳下です。
新潟県出身で、郷土料理ののっぺい汁を二所ノ関親方が幼い頃から作って食べさせていたそうです。
そのためか二所ノ関親方はのっぺい汁が好物で、大相撲に入門した後も、のっぺい汁を食べるためにお正月に実家に帰ってきていたそうですよ。おふくろの味なんでしょうね。
そして子供の時からケガをしにくい丈夫な体を作るため、裕美子さんは旬の食材を使ってしっかりした食事を作っていたそうです。
清涼飲料水やスナック菓子は一切摂らせず、飲み物は牛乳と麦茶という徹底ぶりでした、
二所ノ関親方は好き嫌いがなかったため、裕美子さんも楽だったでしょうね。
二所ノ関親方が横綱昇進の伝達式の後の会見で「頑丈な体にしてくれた」と両親に感謝の言葉を口にした時は、家ではそういうことを言わなかっただけに、裕美子さんはうれしかったようです。
また、裕美子さんは龍ケ崎市のうなぎ料理店「山水閣」で働いていたことがあり、二所ノ関親方の行きつけでもあります。
うなぎが好きなんですね。うなぎを食べて精力をつけていたのでしょう。
姉が一人
二所ノ関親方には1歳上の姉、央恵(ひさえ)さんがいます。
央恵さんについての情報はなく、どんな仕事をされているかはわかりませんでした。
央恵さんも二所ノ関親方と同じ食生活だったでしょうから、やはり健康に育ったのではないでしょうか。
子供時代
二所ノ関親方は幼少期から相撲が好きで、小学2年の頃からよくテレビで観戦していて、相撲はその頃に始めています。
相撲が好きになったのは最初に父親が大相撲中継を見せていたからで、大きい体なら国技をやらせるのが義務という考えがあったからのようです。
「褒められたことがない」と二所ノ関親方が言うほど、父親は厳しかったそうですよ。
二所ノ関親方は相撲以外に野球と水泳もしていて、スポーツが好きな子供でした。とても活発で素直で何事にも一生懸命に取り組んだそうです。
大相撲に入門した後、横綱まで番付を上げることができたのは、若い頃から猛稽古で一生懸命やってきたからです。子供の頃からひたむきさがあったのですね。
野球は強豪校から勧誘があるほどすごかったようですが、自分は野球がうまくないと言って断っているんです。
謙遜だったのか、本当にそう思っていたのか、もったいないなあという気もしますね。でも相撲のほうが好きで続けたかったからかもしれません。
中学生の時はわんぱくで、人を笑わせたり楽しませたりすることが好きで、人気者だったそうです。力士の時は口数が少なかったので、意外な感じがしますね。
二所ノ関親方の両親と姉まとめ
元横綱稀勢の里の二所ノ関親方の両親と姉、子供時代についてまとめました。
親方の体の基礎は母親による食事によって作られていたのですね。愛情たっぷりに育てられたのでしょう。
そして父親によって相撲を始めるきっかけが作られていました。
そうして日本人横綱が誕生したのですね。
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