
「親方ちゃんねる」で解説している岩友親方(元・木村山)には「マァマン」という愛称がありますが、この由来は何なのでしょう。
また親方はすでに結婚して子どももいますが、お嫁さんはどのような人なのでしょうか。
現役時代も併せてご紹介します。
マァマンの由来
岩友親方の本名は木村守(まもる)なので、「ま」から始まる愛称になるのは理解できますが、どうして「マァマン」になったのでしょう。
下の動画の1時間27分過ぎに親方自身が「マァマン」の由来を説明しているのですが、何回聞いても聞き取れません(´-ω-`)
どなたかわかったら教えてください(笑)。
現役の時のツイッターを見ると自分でも「マァマン」と言っています。
その一つがこちら。
めっちゃ「どこでもドア」ほしいなり(T_T)
誰かマァマンにプレゼントしてなり。— 木村山 (@kimurayama_mamo) August 15, 2011
この愛称が気に入っているようですね。
でも自分のことを「マァマン」だなんて、甘えん坊なところがあるのでしょうか。
岩友親方の嫁
岩友親方は現役時代の2012年4月、30歳の時にエミさんと結婚しました。エミさんのほうが6歳ほど上のようです。
エミさんの結婚前の旧姓や仕事はわかりませんでした。二人の馴れ初めも不明です。
エミさんは相撲に負けた日でも明日勝てばいいと言ってくれて、そう言われると気楽だったそうです。
2013年2月には東京・千代田区の東京会館で結婚披露宴を行いました。約300人が出席しています。
木村山関と新婦エミさんによるケーキ入刀。 #sumo pic.twitter.com/HZaTumOt
— tsukatch☆man (@tsukatch_man) February 11, 2013
二人の幸せそうな様子が伝わってきますね。エミさんはしっかり者の姉さん女房といった感じでしょうか。
子ども
二人が結婚した年の9月22日に長男の美太(はるた)君が生まれました。
4月に結婚して9月に出産なので、結婚前には子どもができていたことになるんですね。今時珍しくはないですけど。
エミさんは実家のある大阪で出産したのですが、なんと4,218gもあったそうです。
親方に似たのでしょうか。大きく育ちそうですね。
出産の9月22日は秋場所中で、前日に負け越しが決定していました。
親方が言うには「勝ち越すまで出てくるのを待っていたようで予定日から8日も遅れた。それで自分が負け越したら出てきた」そうです(笑)。
その後また子どもが生まれたという情報はないので、子どもは男の子一人だけのようです。
プロフィール
マァマンお誕生日おめでとうございます🎂いつも素敵な笑顔をありがとうございます #岩友親方 pic.twitter.com/3aPCB8Fzur
— に (@_______nisi) July 13, 2020
四股名:木村山守(きむらやままもる)
本名:木村守(きむらまもる)
愛称:マァマン、キム
生年月日:1981年7月13日
出身:和歌山県御坊市
身長:182cm
体重:183kg
所属部屋:春日野部屋
得意技:押し
血液型:A型
趣味:睡眠
体重は現役時代のもので、一番重かった時は188kgあったそうです。それだけ重いとさすがに日常生活が大変だったそうですよ。現在は150kg台だということです。
そして典型的な押し相撲で、現役時代に挙げた343勝の内、寄り切りによる白星はたった1番だけでした。
経歴
入門前
和歌山県立箕島高等学校を卒業した後、東洋大学に進学します。
同じ高校出身の春日野親方に誘われて、大卒後に春日野部屋に入門しました。
入門後
2004年3月場所で、「木村山」の四股名で初土俵を踏みます。
本名が木村なのに四股名が「木村山」となったのは、行司の木村庄之助などの木村と混同してしまうからという理由がありました。
2008年1月場所で新十両に昇進。
同年7月場所で新入幕。
しかし幕内は3場所で陥落し、その後は十両と幕内を行ったり来たりします。
2012年9月場所で5回目の入幕を果たしますが、翌11月場所で十両に陥落。
そして2013年7月場所で幕下に陥落。
同年11月場所で十両に復帰しますが、翌2014年1月場所で負け越し、引退を決意しました。
最高位は西前頭7枚目でした。
引退後に年寄「岩友」を襲名しています。
まとめ
岩友親方の愛称「マァマン」の由来がはっきりわかりませんでした。
誰かに名付けられたのでしょうか。
それにしても自分でも「マァマン」と言っているのには少しびっくりしました。
お嫁さんの前でも「マァマン」と言って甘えているような気がします。
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