豪栄道(武隈親方)の両親と姉はどんな人?性格や好きなタイプも

大関豪栄道は2020年1月場所で引退し、武隈親方となりました。

豪栄道と言えば、「ごうえいどう~、ごうえいどう~」の掛け声とともに手拍子が起きることがよくありましたね。

特に地元の大阪場所ではファンの応援が熱かったようです。

ファンから「豪ちゃん」などと呼ばれ親しまれていましたが、そんな豪栄道を育てた父や母、そして姉はどのような人なのでしょう。

性格や好きなタイプ、経歴などについてもご紹介します!

豪栄道の両親

元大関豪栄道の父親は澤井雅博さんで、母親は澤井真弓さんです。

こちらに真弓さんの写真があります。

よく似ていますね。母親似でしょうか。

豪栄道は2016年、28歳の時に大関昇進を決め、伝達式には両親も駆けつけましたが、その時両親は58歳だったので、二人共現在は定年になっているでしょうか。

父・雅博さんはその伝達式の時に「明日から仕事ですが、職場が大騒ぎで大変です」とおっしゃっていたので、会社勤めをされていたようですね。

母・真弓さんは息子のおかげで相撲が好きになり、いつも本場所へ応援に行っていたそうです。

14日目に初優勝を決めた日も国技館で升席からご覧になっていました。

雅博さんのほうはパブリックビューイングで地元から多くの市民と応援されていました。

優勝が決まった瞬間にはテレビの端に万歳する様子が映し出されていました。

お父様の方は仕事の都合で国技館には行けなかったのかもしれませんね。

姉はこんな人

姉は豪栄道の6歳上で、笠原優雅(ゆうや)さん。小さい時にはケンカした仲だそうです(笑)。

兄に蹴られた時に「女にそんなんしてもいいんか」と言ったら、その後はもう一切蹴ってこなかったそうなので、お姉さんが怖かったのか、弟が素直だったのか。

姓からおわかりのようにお姉さんはすでに結婚されていて、流くん、詩くんという二人の息子さんがいらっしゃいます。

こちらに写真がありました。

豪栄道にとってはかわいい甥っ子たちなのでしょうね。

お姉さんの顔はわかりにくいですが、目元がよく似ているようです。

豪栄道の性格

豪栄道は負けず嫌いで、実直な性格のようです。

力士には負けず嫌いな人が多いですね。豪栄道も負けず嫌いだからこそ相撲で強くなれたのでしょう。

そして大関昇進の時の口上が「これからも、大和魂を貫いてまいります」だったように、弱みも痛みも口にすることはありませんでした。

師匠の境川親方によれば「石のような信念、性格。よくも悪くも不器用な男」だそうです。

またお母様によると、相撲に力を入れ出した小学3年生の時からはどこが痛いとか、弱音は聞いたことがなかったということです。

男気があるというのでしょうか。痛みがあっても自分の中で抑え込んで戦ってきたのでしょう。

引退した時には「やせ我慢っていうのがずっと心のなかにあって、人にそういうところを見せないようにやってきました」と話していました。

男ならこうあるべきという信念があったようですね。

テレビで見る限りはいつもどこか不機嫌そうな表情だったのも、このやせ我慢というのが根底にあったからかなと今になって私は思います。

好きなタイプと彼女

豪栄道の好きなタイプは前に出すぎない人だそうです。

ちょっと控えめな女性がいいのでしょうか。男を立ててくれそうな感じの女性が。

また「北新地の子がいい」とも言っていたそうです。北新地と言えば関西有数の高級飲食店が存在している所ですね。

北新地での豪快な飲みっぷりは有名らしいです。おそらくよく通っているのでしょう。

高級なお店で働いているような女性がいいのでしょうか。上品で言葉遣いも丁寧な?

私は行ったことがないので想像ですが。

豪栄道は大阪の寝屋川市出身ですが、寝屋川の子はだめなんでしょうかね。

また、母校・埼玉栄高校の1歳下の後輩で、豪栄道と親しいお笑い芸人のマービンJr.さんが言うには細くてきれいな人がタイプだそうです。

優勝した後、TBSの番組に出てアナウンサーの夏目三久さんに会ったと、すごく喜んでいたそうですよ。

そして彼女についてですが、現役時代は彼女の噂は全くありませんでした。お相撲さんはモテますし、近づいてくる女性はたくさんいたと思いますが。

元横綱・稀勢の里が横綱に昇進した時に、相撲に専念するために彼女と別れたように、豪栄道も恋人より相撲のことで精一杯だったのでしょうか。

でも引退して気持ちにも余裕ができたと思うので、彼女を作って一気に結婚という流れになるかもしれませんね。今からどんな人を選ぶのか楽しみです。

追記

豪栄道は2020年5月に東京都出身の年下の女性と結婚していたことがわかりました。

詳しくはこちらの記事をご覧ください。

プロフィール

四股名:澤井豪太郎→豪栄道豪太郎

本名:澤井豪太郎

愛称:ゴウタロウ、豪ちゃん、GAD

生年月日:1986年4月6日

出身:大阪府寝屋川市

所属部屋:境川部屋

得意技:右四つ・寄り・出し投げ・切り返し・外掛け・首投げ

最高位:東大関

血液型:B型

趣味:格闘技テレビ観戦、漫画雑誌を読むこと

好きな食べ物:牛肉

嫌いな食べ物:生魚、納豆、漬け物

嫌いな食べ物に納豆が入っている当たり、関西人って感じですね。ニオイがするものが苦手なのかな?

相撲の経歴

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2018#豪栄道

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入門前

生まれた時は体重4380グラムと大変大きかったそうです。

本名の豪太郎という名前には、男の子らしい名前にしたいと「太郎」、そして豪華で大きいというイメージから「豪」の字を合わせ「もっとも豪華で大きな太郎」という意味が込められています。

私はこの名前が本名と知った時、びっくりしましたよ Σ(`0´*) 四股名だと思っていましたから。

豪太郎少年は寝屋川市立明和小学校1年生の時に相撲を始めました。

やんちゃで、子どもたちの中で偉そうにしている強い息子を見かねて、お父様が「痛い目にあえば懲りるだろう」と相撲大会に申し込んだのがきっかけでした。

ガキ大将だったのですね。相撲で息子をやっつけてもらおうなんて、お父様もすごいなと。

ところがその大会で優勝してしまい、それ以来相撲が面白くなったようです。お父様も想定外でびっくりされたでしょう。

小学3年生の時に寝屋川市の隣にある交野市の道場に通い始め、全国大会制覇を果たします。

なんとこの道場には同学年の勢関も通っていたのです。

お父様が小学生の勢関を見て、体格的に同級生の息子の稽古相手にふさわしいと見込んで道場への入門を勧めたそうですよ。

結果的に勢関も大相撲に入門するきっかけになったのですから、不思議な縁ですね。

豪太郎少年は小学4年生の時にわんぱく相撲で1回戦負けしたことで、自分の小ささを痛感し、10キロ増量して小学5年生で横綱になりました。

しかし豪太郎少年は友達と遊べなくなり辞めたくてしかたなかったそうです(笑)。

その後、公立の寝屋川市立第四中学校に入りますが、3年生の時には体重が軽かったせいで不振になり、相撲に対する熱意が薄れました。

そんな豪太郎少年を埼玉栄高校相撲部の山田監督が勧誘し、その熱心な誘いに心打たれて進学を決意します。

埼玉栄高校と言えは相撲の強豪校として有名で、貴景勝関を始め多くの出身力士がいますね。

進学を決めてからは食事の回数を増やして、体重を30kg増量したそうです。

高校では高校横綱、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など11個の個人タイトルを獲得しています。

入門と四股名の由来

相撲の強豪校である日本大学への推薦入学が内々定していましたが、豪太郎は各界入りを希望します。

境川親方が埼玉栄高校相撲部の山田監督の先輩だった縁で、境川部屋へ入門することになりました。

2005年1月場所で初土俵。

2006年11月場所で新十両に昇進し、四股名を豪栄道に改名します。

「豪」は本名の豪太郎と師匠の境川豪章(ひであき)の名前から、「栄」は埼玉栄高から、「道」は相撲道と埼玉栄高相撲部監督の山田道紀の名前から1字ずつ取り、「力強く栄え相撲道に精進する」意を込めたそうです。

境川親方は2003年2月に年寄名跡を「中立」から「境川」に変更していて、その時姓名判断の先生に「数年後に『豪』という字に縁のある人間と出会う」と言われていたそうですよ。

そのため下の名前も「秀昭」から「豪章」に改名していました。

すると本当にその2年後、澤井豪太郎が入門を志願してきたのですから、びっくりしたでしょうね。

その姓名判断の先生もすごいなと思います。

大関昇進

十両は5場所で通過し、2007年9月場所で新入幕となります。

するといきなり11勝を挙げ、初の敢闘賞を受賞しました。

2008年11月場所で新三役の小結に昇進すると、2009年5月場所で関脇に昇進。

2010年1月場所で横綱朝青龍から初金星を挙げました。

しかしその後野球賭博に関与したということで、謹慎休場を勧告され、同年7月場所を休場し、翌9月場所は十両へ陥落してしまいます。

その9月場所では好成績を収め、1場所で幕内復帰しました。

2012年5月場所から2014年7月場所まで関脇連続在位が14場所となり、昭和以降では単独1位の記録となります。

そして安定した成績を評価され、2014年9月場所で大関に昇進。

その後はなかなか2桁勝つことができませんでしたが、大関になって2年後の2016年9月場所で全勝し、初優勝を決めました。

日本人力士の全勝優勝は1996年9月場所の横綱・貴乃花以来20年ぶりという快挙でした。

引退を決意

初優勝した翌場所は初めての綱取りとなりましたが、9勝6敗で終わりました。

その後は度重なるケガで思うように成績が伸びず、角番で迎えた2020年1月場所の12日目に負け越しが決まり、同時に大関陥落も決定しました。

この時審判をしていた師匠の境川親方がテレビに映ったのですが、花道を引き上げて通路にあるテレビでVTRを確認した豪栄道も、その姿を見ることになったのはなんとも残酷でしたね。

そしてこの取組の前のこと。6敗か7敗になった時、土俵下に座った豪栄道は放心したような表情で、いつものいかつい顔はどこへやら、まるで子どものような顔をしていたのがすごく印象に残っています。

私は豪栄道のそのような顔を見るのは初めてだったので驚きました。

この時すでに引退の2文字が頭にあったのでしょう。数年前から大関を陥落したら引退するつもりだったことは後で知りました。

結局その場所は最後まで出続け、5勝10敗で最後の土俵を終えることになります。

初土俵は2005年1月場所、引退が2020年1月場所で、まる15年の相撲人生で、獲得した金星は1個、殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞3回、幕内優勝1回でした。

まとめ

元大関豪栄道の両親と姉、性格、好きなタイプや彼女、相撲の経歴についてご紹介しました。

豪栄道は大関になってから角番が多く、思うように勝てないことが多かったようです。

それでもつらいところを見せずにやせ我慢を貫いてきたのですね。大関昇進の口上で述べた大和魂を最後まで見せてくれたのでしょう。

これからは親方としてどんな力士を育てることになるのか楽しみです。

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