朝乃山

大相撲力士の朝乃山関は恵まれた体格と言われ、穏やかそうな表情をしていますね。

子供時代はどんな風だったのでしょう。そして朝乃山関を育てた両親はどのような人なのでしょうか。

兄弟と、子供時代から現在までの経歴を合わせてご紹介します。

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朝乃山まとめ

朝乃山の両親

朝乃山関の父は靖さんで、母は佳美さんです。

朝乃山関の本名は石橋広暉(ひろき)で、「心の広い、おおらかな人になるように」名付けられました。

名前の通りに育ってほしかったからでしょう。両親はおおらかに、やりたいことはやらせるという放任主義で子育てをしたそうです。

靖さんは文化系の人間で、スポーツは少年野球を少しやったくらいで、相撲経験はありませんでした。

広暉少年は大学の相撲部でも活躍していたので、プロの世界に入ってほしいと思っていたそうです。

だから広暉少年がプロ入りすることを決めた時には、佳美さんと一緒に応援しようと思ったそうですよ。

東京場所なら初日、中日、千秋楽と3週連続で両国国技館へ行き、大阪、名古屋、福岡場所も必ず会場へ行くそうです。

そして会場へ行けない日はテレビで観戦し、取組後にはLINEでメッセージを送るそうです。

親なら応援するのは当然ですよね。

佳美さんは広暉少年が相撲部の時、車で送り迎えしたり、弁当を作ったり、週末には試合の応援に行くなど、いろいろ支えていたようです。

兄弟は3人

朝乃山関は兄と弟が1人ずつの、3人兄弟です。

兄は5歳上で卓磨さん、弟は3歳下で尚也さんです。兄弟の仲は良かったそうです。

朝乃山関は現在187センチ、177キロですが、兄は180センチで60~70キロ、弟は175センチで50~60キロです。

兄と弟は痩せていますね。

朝乃山関が言うには兄弟3人で歩いていたら『俺は拾われた子だな』ってなる。全然似ていない」そうです。

朝乃山関の地元の行きつけである丸忠食堂で、弟の尚也さんが手伝いをしているところを私はたまたま見たことがありますが、お父様似でほっそりしていました。

尚也さんは2020年の春から東京で就職されたようです。

兄の卓磨さんは福島県の大学を卒業し、会社員をされているようです。

子供時代

朝乃山関は生まれた時は3678gもあり、ハイハイするのも、歩き出すのも他の子よりも早かったそうです。

保育園でみんなが集まって遊んでいる中を歩くと、まだよちよち歩きの他の子供たちが、広暉少年の風圧でバタバタと倒れてしまうこともあったそう(笑)。

そして兄弟の中でも一番活発で、運動能力も高く、負けず嫌いだったそうです。負けず嫌いは子供の時からなんですね。

朝乃山関の穏やかそうな顔から想像できないかもしれませんが、本人はちょくちょく「悔しかった」と言っています。

兄弟の中では、広暉少年は感情を全て出し、自身の欲求は何でも言ってくる子供だったそうです。真ん中の子だからでしょうか。

兄はしっかり者で、弟は何でも我慢する子供でした。

兄と弟は力士になった朝乃山関のことを「一つの目標に向かっているのはすごい」と言い、朝乃山関は兄弟を「兄や弟は自分にないものを持っている」とお互いに認め合っています。

朝乃山関は小学生の時には、水泳やドッジボール、ハンドボールといろんなスポーツに取り組んでいました。

一方、相撲には全然興味がなかったそうですが、人より体が大きかったため、先生に相撲を勧められて始めたそうです。

ちょうど小学校のグラウンドに「太刀山道場」という、富山県出身の横綱の名前を冠した土俵があったのが運命だったのでしょう。

朝乃山関は後に「太刀山ゆかりの土俵がなかったら相撲をやってなかったかな。相撲部もなかったんじゃないですか。横綱がいたからこそ、土俵ができたと思う」と語っています。

太刀山道場から現在の朝乃山関が誕生したと言っても過言ではないでしょう。

朝乃山関はそうして相撲と、地域で盛んなハンドボールをかけ持ちして頑張りました。

ハンドボールでは反射神経のよさからゴールキーパーを務めました。

相撲には地元の相撲大会で優勝してから興味を持ち始めたのです。

その後進学した中学で、ハンドボール部に入りましたが、ランニングが苦手で練習についていけず、入部から1週間で退部しました。

その後相撲部を見に行って誘われて入部したところ、地獄の稽古だったそうです(笑)。それでもハンドボールを辞めて入ったので、3年間頑張ったそうですよ。

プロフィール

本名:石橋広暉(いしばしひろき)

生年月日:1994年3月1日

出身:富山県

血液型:A型

身長:187cm

体重:177kg

得意技:右四つ、寄り、上手投げ

所属部屋:高砂部屋

趣味:格闘技観戦

好物:寿司、甘い物(特にショートケーキ)、富山ブラックラーメン

肉と魚で比べると魚のほうが好きで、中でもブリが好きだそうです。さすが富山県民!子どもの頃からよく食べていたのでしょう。

焼き鳥も大好物だそうです。

「手を付かない」というゲン担ぎで、高砂部屋は初日には必ず、鶏肉入りのちゃんこ鍋を食べるそうですよ。ニワトリのように二本足で立っていられるようにということですね。

そして甘い物が好きだなんて顔に似合っていませんか。フレンチトーストも好きで、九州場所では必ず唐人町商店街のカレー屋さんで食べるそうですよ。

他にも富山名物ブラックラーメンが好きなんですね。行きつけのラーメン屋さんはこちらの記事でご紹介しています。

>>朝乃山の実家・富山の呉羽にくれば?行きつけのお店を紹介します!

また、ブランドものが好きでかばんの収集もしていて、個室の壁にはたくさん飾ってあるそうです。

経歴

入門前

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朝乃山関は中学を卒業した後、富山商業高等学校の相撲部監督の浦山先生に誘われ、同高校に進学しました。

そこで浦山先生に右四つを教えてもらいました。

朝乃山関は中学3年の時に左腕を骨折しているので、左を差すのが怖くて右四つを教わったそうですよ。

ちなみに高校生の3年間は稽古で精一杯で、勉強は大嫌いで一つもしなかったそうです ( ̄▽ ̄;)

そして富山商業高校から近畿大学に進み、得意の右四つで西日本のタイトルを総なめにし、学生ランキング1位にまでなりました。

その活躍から複数の相撲部屋からスカウトされて、高砂部屋へ入門しました。近畿大学OBの若松親方の勧誘が決め手となったのです。

入門後

2016年3月場所で初土俵を踏むと、2017年3月場所で新十両昇進となりました。

入門時に「1年後の春には関取になって富山に帰りたい」と抱負を語ったとおり、目標を果たしたのです。有言実行ですね。

2017年9月場所で新入幕となると、いきなり10勝を挙げて敢闘賞を獲得します。

そして2019年5月場所では西前頭8枚目で初優勝

富山出身力士の優勝は大正5年夏場所の横綱・太刀山以来103年ぶり。そして三役経験のない力士の優勝は、昭和36年夏場所以来58年ぶりでした。

もちろん富山県は大騒ぎ(笑)。パレードも行われました。

2019年9月場所では横綱鶴竜関に勝って、初金星を獲得

実はこの時「金星はこれで最後にしたい」と朝乃山関は言っているのです。

金星は平幕が横綱に勝つことですよね。つまり、もう平幕にはとどまらないで、三役以上で活躍するという強い思いがあったからでしょう。

翌11月場所は新三役となる小結に昇進すると、2019年は年間最多勝を獲得して終えました。

2020年1月場所で関脇に昇進。翌3月場所で11勝4敗となり、直近3場所で32勝を挙げました。

大関昇進の目安となる「三役で3場所合計33勝以上」には届きませんでしたが、相撲内容と4場所連続2けた勝利の安定感などが評価され、臨時理事会では朝乃山関の大関昇進は全会一致で決まったということです。

3場所での三役通過は昭和以降では8位、年6場所制となった1958年以降では2位という速さでした。

大関昇進の伝達式での口上で、朝乃山関は次のように言っています。

「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」

「一生懸命」は中学の時からずっと使っていた言葉だそうです。

師匠の高砂親方も部屋の先輩である元横綱朝青龍も、大関昇進時の口上はともに「一生懸命」の文言を使っています。

そして「愛と正義」は母校・富山商業高校の教育目標の柱となっているものです。

母校から贈られた化粧まわしに、この文字が入っているのに気がついた人もいるでしょう。これですね。

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朝乃山関が小結か関脇に昇進した時に、解説の北の富士勝昭さんが

朝乃山は大関にとどまる力士じゃないからね。横綱まで行くだろうから

とおっしゃっていましたが、私も横綱まで行くと信じています。

それにしても千秋楽が終わった当日にもう、大関確実のニュースが流れたことには驚きました。

来月の番付発表の時に決まるのかと思っていたからです。

千秋楽からわずか3日後に大関昇進の伝達式があるなんて、そんなに早いんですかって。

関脇に上がった途端に「大関候補」と囁かれ始めたのにもびっくりしましたが、まさか小結、関脇を3場所で駆け抜けるとは夢にも思っていませんでしたね。

大関が貴景勝関一人だけの時だったので、基準も甘くなるかなと思っていましたが、その好機を逃さずトントンと上がったのはさすがというか、もっているというか。

本当に驚きました。

思えば富山でのパレードの日も、降水確率80%くらいでずっと雨が降っていたにもかかわらず、パレードの直前になって雨が上がり、パレードが終わって朝乃山関が県庁の中へと入った途端に、雨が降ってきたんですよね。

本人もその時は「もっているんですかね」と言っていましたから。

運も実力のうちと言いますが、運がいい悪いは日頃の行いと深い関係があるのは事実です。朝乃山関の普段の行いがよかったのでしょう。

四股名の由来

朝乃山関は入門後は本名の石橋を名乗っていましたが、新十両に昇進後は、高砂部屋伝統の「朝」の字に、故郷の富山や恩師である浦山、富山の大先輩の横綱・太刀山の「山」を取って「朝乃山英樹」にしました。

「英樹」は浦山先生の下の名前です。

実は浦山先生は、朝乃山関が幕下優勝を決めた一番をテレビで見届けた翌日に病死しているんです。

浦山先生の葬儀の後、奥さんから受け取った手紙には震えた文字でこう書かれていました。

「石橋、お前はよく相撲を頑張っている。俺の誇りだ。横綱になれるのは一握り。お前にはその無限の可能性がある。富山のスーパースターになりなさい

その手紙をお守り代わりに朝乃山関は巾着に入れて、いつも持ち歩いているそうです。

まとめ

朝乃山関の両親と兄弟、子供時代についてまとめました。

おおらかな両親に育てられて、現在の朝乃山関があるんですね。

子供の時から負けず嫌いなため、今のような地位にまで上り詰めたのでしょう。

これからも私は朝乃山関を見守っていきますよ!

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