朝乃山の家族はどんな人?父・母・兄弟と子供時代まとめ!

高砂部屋の朝乃山関は恵まれた体格をしていると言われ、穏やかそうな表情をしていますね。

そんな朝乃山関の実家の家族はどんな人なのでしょう。

両親と兄弟、朝乃山関の子供時代についてもご紹介します。

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朝乃山まとめ

朝乃山の両親

朝乃山関の父の名前はさんで、母は佳美さんです。

朝乃山関の実家は富山市にありますが、母の佳美さんは富山県西部の氷見市出身で、祖母が住んでいます。

そのため朝乃山関は幼い頃、実家に帰って氷見のブリを食べていたそうです。

2024年元日の能登半島地震では祖母の家が被災し、停電したりガスが止まったりしました。

朝乃山関は地震に心を痛め、2月に後援会と合わせて100万円の義援金を氷見市に贈呈しています。

父の靖さんは2021年8月16日、急性心原性肺水腫により64歳で急逝しました。

朝乃山関の高校の恩師は朝乃山関の入門後、40歳で亡くなり、大学時代の相撲部監督は55歳で亡くなっているので、身近な男性が次々と亡くなって辛かっただろうなと思います。

朝乃山関の本名は石橋広暉(ひろき)で、「心の広い、おおらかな人になるように」「人と同じではなく違ったことが成るように」と名付けられました。

「暉」はあまり名前には使わない漢字だそうですが、有名人では菅田将暉さんにこの漢字が使わていますね。「暉」には輝くという意味があります。

名前の通りに育ってほしかったからでしょう。両親はおおらかに、やりたいことはやらせるという放任主義で子育てをしたそうです。

靖さんは文化系の人間で、スポーツは少年野球を少しやったくらいで、相撲経験はありませんでした。

朝乃山関は大学の相撲部でも活躍していたので、プロの世界に入ってほしいと思っていたそうです。

だから息子がプロ入りすることを決めた時には、佳美さんと一緒に応援しようと思ったそうですよ。

東京場所なら初日、中日、千秋楽と3週連続で両国国技館へ行き、大阪、名古屋、福岡場所も必ず会場へ行きました。

そして会場へ行けない日はテレビで観戦し、取組後にはLINEでメッセージを送っていたそうです。親なら応援するのは当然ですよね。

母の佳美さんは朝乃山関が相撲部の時、車で送り迎えしたり、弁当を作ったり、週末には試合の応援に行くなど、いろいろ支えていました。

また、朝乃山関の富山市の実家には祖父母がいて、毎場所孫の取組を楽しみにしていました。しかし2021年6月27日祖父が亡くなりました。

2021年6月と言えば、新型コロナで外出禁止になっている時にキャバクラに出入りして、それについて虚偽の報告をしたため、朝乃山関が6場所の出場停止処分を受けた時です。

処分直後の祖父の他界だったため、朝乃山関は葬儀への参列ができませんでした(父の葬儀には参列できています)。

祖父が亡くなったのは心労などの苦労をかけたせいだと、朝乃山関は自分を責めたそうです。朝乃山関は本当に辛かったでしょう。

そして続けて父が亡くなった時には朝乃山関は再び引退を考えましたが、師匠の高砂親方(朝赤龍)が「今は辛抱して頑張ろう」と繰り返し説き伏せたそうです。

母にも「絶対にやめないで」と言われて、相撲を続けることを決意しました。

父もキャバクラの一件で朝乃山関を叱りながら、息子の再起を待ち望んでいました。

その父のためにも朝乃山関は「はい上がってやる」という気持ちになったようです。

朝乃山の兄弟

朝乃山関には兄1人と弟1人がいます。朝乃山関は3人兄弟の真ん中になります。

兄は5歳上で卓磨さん、弟は3歳下で尚也さんです。兄弟の仲は良かったそうです。

朝乃山関は現在189センチ、169キロですが、兄は175センチで60~70キロ、弟は175センチで50~60キロです。

兄と弟は痩せていますね。

朝乃山関が言うには兄弟3人で歩いていたら『俺は拾われた子だな』ってなる。全然似ていない」そうです。

朝乃山関の地元の行きつけである丸忠食堂で、弟の尚也さんが手伝いをしているところを私はたまたま見たことがあります。

近くにいたお客さんが「朝乃山の弟さん」と言うのを聞いて、じっと見ましたが(笑)、確かに朝乃山関とは全然似ていませんでした。父親似でほっそりしていましたよ。

尚也さんは2020年の春から東京で就職されたようです。

兄の卓磨さんは福島県の大学を卒業し、会社員をされているようです。

子供時代

朝乃山関は生まれた時は3678gもあり、ハイハイするのも、歩き出すのも他の子よりも早かったそうです。

保育園でみんなが集まって遊んでいる中を歩くと、まだよちよち歩きの他の子供たちが、朝乃山関の風圧でバタバタと倒れてしまうこともあったとか(笑)。

そして兄弟の中でも一番活発で、運動能力も高く、負けず嫌いでした。負けず嫌いは子供の時からなんですね。

また学校に通っている時から仲間と溶け込むのが早く、順応性がある子供でした。

一方、兄弟の中では朝乃山関は感情を全て出し、自身の欲求は何でも言ってくる子供だったそうです。真ん中の子だからでしょうか。

兄はしっかり者で、弟は何でも我慢する子供でした。

兄と弟は力士になった朝乃山関のことを「一つの目標に向かっているのはすごい」と言い、朝乃山関は兄弟を「兄や弟は自分にないものを持っている」とお互いに認め合っています。

朝乃山関は小学生の時には、水泳やドッジボール、ハンドボールといろんなスポーツに取り組んでいました。

相撲には全然興味がなかったそうですが、人より体が大きかったため、先生に相撲を勧められて始めました。

ちょうど小学校のグラウンドに「太刀山道場」という、富山県出身の横綱の名前を冠した土俵があったのが運命だったのでしょう。

朝乃山関は後に「太刀山ゆかりの土俵がなかったら相撲をやってなかったかな。相撲部もなかったんじゃないですか。横綱がいたからこそ、土俵ができたと思う」と語っています。

太刀山道場から現在の朝乃山関が誕生したと言っても過言ではないでしょう。

朝乃山関はそうして相撲と、地域で盛んなハンドボールをかけ持ちして頑張りました。

ハンドボールでは反射神経のよさからゴールキーパーを務めました。相撲には地元の相撲大会で優勝してから興味を持ち始めたのです。

その後進学した中学で、ハンドボール部に入りましたが、ランニングが苦手で練習についていけず、入部から1週間で退部しました。

その後相撲部を見に行って誘われて入部したところ、地獄の稽古だったそうです(笑)。それでもハンドボールを辞めて入ったので、3年間頑張ったそうですよ。

プロフィール

本名:石橋広暉(いしばしひろき)

生年月日:1994年3月1日

出身:富山県

血液型:A型

身長:189cm

体重:169kg

得意技:右四つ、寄り、上手投げ

所属部屋:高砂部屋

趣味:格闘技観戦

好物:寿司、甘い物(特にショートケーキ)、富山ブラックラーメン

朝乃山関は肉と魚で比べると魚のほうが好きで、中でもブリが好きだそうです。さすが富山県民!子どもの頃からよく食べていたのでしょう。

焼き鳥も大好物だそうです。

「手を付かない」というゲン担ぎで、高砂部屋は初日には必ず、鶏肉入りのちゃんこ鍋を食べるそうですよ。ニワトリのように二本足で立っていられるようにということですね。

そして甘い物が好きだなんて顔に似合っていませんか。フレンチトーストも好きで、九州場所では必ず唐人町商店街のカレー屋さんで食べるそうです。

他にも富山名物ブラックラーメンが好きなんですね。行きつけのラーメン屋さんはこちらの記事でご紹介しています。

朝乃山の両親、兄弟、子供時代まとめ

朝乃山関は富山市で生まれました。

父と祖父は他界してしまいましたが、母は地元で暮らしています

朝乃山関は3人兄弟の真ん中で、子供の時から負けず嫌いでした。

兄弟とは朝乃山関は似ていないようです。

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