披露宴

元横綱稀勢の里は引退後、荒磯親方になりました。

久しぶりに誕生した日本人横綱ということもあって現役時代は大人気でしたが、親方となった現在でも相変わらず人気があります。

そんな親方を育てた両親や、姉はどのような人なのでしょう。

そしてまだ独身の親方の嫁取りはいつになるのでしょうね。親方の好きなタイプについてもご紹介します。

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荒磯親方まとめ

荒磯親方のプロフィール

四股名:稀勢の里寛

本名:萩原寛(はぎわらゆたか)

生年月日:1986年7月3日

出身:茨城県牛久市(出生地は兵庫県芦屋市)

血液型:B型

趣味:スポーツ観戦

「寛」は普通は「ひろし」と読みますが、「ゆたか」にしたのは「ひろし」より語感がいいとのお父様の思いがあったからだそうです。

スポーツは特にアメフトが好きだそうですね。

兵庫県芦屋市生まれですが、2歳の時に茨城県龍ケ崎市に引っ越し、中学2年生の時に同県の牛久市へ転入しています。

芦屋生まれと言っても住んでいたのは2歳の時までなので、その頃の記憶はないのでしょうね。

茨城県龍ケ崎市立松葉小学校の後、龍ケ崎市立長山中学校を卒業しています。

寛少年は中学卒業後に鳴戸部屋に入門しているので、牛久市には1年ほどしか住んでいないのですが、土俵入りの時は牛久市出身と読み上げられていましたね。

牛久市と隣り合う龍ケ崎市にとって歯がゆい思いだったのではと私は想像してしまいます。

「龍ケ崎市は稀勢の里が育った故郷だぞ。牛久市出身って?」というような気持ちを抱いたのではないかと思います(勝手な想像です)。

両親

荒磯親方の父親は萩原貞彦さんで、母親は裕美子さんです。上の写真の親方の後ろで写っている二人がそうです。

貞彦さんは晩婚で、40歳の時に寛少年が生まれました。

貞彦さんは元アマチュアボクサーで、脱サラしてIT関連の仕事を始めています。

格闘家からIT関連の仕事への転職とはすごいですね。

自分がボクシングをしていた経歴から、息子が相撲でだめだった場合、ヘビー級のプロボクサーに育てるため、米国に留学させることも考えていたそうです。

自分が叶えられなかった夢を子どもに託したいのは、親ならありがちですね。

そして貞彦さんの父、つまり寛少年の祖父は画家で、貞彦さんは祖父が62歳くらいの時に生まれています。

2代揃って子どもが遅くにできているのですね。

さらに曾祖父は彫刻家だったそうです。彫刻家、画家と来て格闘家という流れもすごいです。

貞彦さんは2018年11月に胃がんの手術を受け、胃の3分の2を切除しています。

「病気」や「激やせした」との情報がネット上にあるのはそのためなのでしょう。

胃の多くを切除していたら、通常の食事を摂れるようになるまで時間がかかるので、体重が減りますからね。

現在は転移や後遺症もなく元気に過ごしているようなので、親方も安心でしょうね。

母の裕美子さんは貞彦さんの9歳下です。

新潟県出身で郷土料理ののっぺい汁を親方が幼い頃から作って食べさせていたそうです。

そのためかのっぺい汁が好物で、大相撲に入門した後も、のっぺい汁を食べるためにお正月に実家に帰ってきていたそうですよ。

おふくろの味なんでしょうね。

そして子どもの時からケガをしにくい丈夫な体を作るため、裕美子さんは旬の食材を使ってしっかりした食事を作っていたそうです。

清涼飲料水やスナック菓子は一切摂らせず、飲み物は牛乳と麦茶という徹底ぶりでした、

寛少年は好き嫌いがなかったため、裕美子さんも楽だったでしょうね。

横綱昇進の伝達式の後の会見で「頑丈な体にしてくれた」と両親に感謝の言葉を口にした時は、家ではそういうことを言わなかっただけに、裕美子さんはうれしかったようです。

また、裕美子さんは龍ケ崎市のうなぎ料理店「山水閣」で働いていたことがあり、親方の行きつけでもあります。

うなぎが好きなんですね。うなぎを食べて精力をつけていたのでしょう。

姉が一人

荒磯親方には1歳上の姉、央恵(ひさえ)さんがいます。

央恵さんについての情報はなく、どんな仕事をされているかはわかりませんでした。

央恵さんも親方と同じ食生活だったでしょうから、やはり健康に育ったのではないでしょうか。

子ども時代

寛少年は幼少期から相撲が好きで、小学2年の頃からよくテレビで観戦していて、相撲はその頃に始めています。

相撲が好きになったのは最初にお父様が大相撲中継を見せていたからで、大きい体なら国技をやらせるのが義務という考えがあったからのようです。

褒められたことがない」と親方が言うほど、父親は厳しかったそうですよ。

寛少年は相撲以外に野球と水泳もしていて、スポーツが好きな子どもでした。

とても活発で素直で何事にも一生懸命に取り組んだそうです。

大相撲に入門した後、横綱まで番付を上げることができたのは、若い頃から猛稽古で一生懸命やってきたからです。

子どもの頃からひたむきさがあったのですね。

野球は強豪校から勧誘があるほどすごかったようですが、自分は野球がうまくないと言って断っているんです。

謙遜だったのか、本当にそう思っていたのか、もったいないなあという気もしますね。

でも相撲のほうが好きで続けたかったからかもしれません。

中学生の時はわんぱくで、人を笑わせたり楽しませたりすることが好きで、人気者だったそうです。

力士の時は口数が少なかったので、意外な感じなんですけど ( ̄◇ ̄;)

嫁取りはいつ?

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荒磯親方は大関昇進後に中学時代の同級生と交際していましたが、横綱昇進後は相撲に専念するために別れました。

その後は女性とは交際していないようで、彼女の噂も全くありませんよね。

お父様によれば近づきたがっていた女性は多かったそうですが、すべて断っていたとのこと。

お見合いの話も当然いくつもあったのですが、それも断っているそうです。

親方は「相撲を取っている間は結婚をしない」と言っていたそうですよ。相撲に専念したかったのですね。

お父様も息子は器用ではないので、結婚と相撲の両立はできないから、現役の間は結婚しないだろうと考えていたそうです。

さすがお父様は息子のことをよくわかっていたようで、その予想は当たりましたね。

親方は女性に対して消極的で不器用で、引退してからも結婚を焦ったりはしていないようです。

女性ファンから声をかけられると、赤面してしまうほどの照れ屋なので、奥手なのでしょう。

女性慣れしていないところがまた、ファンにとってはかわいいのかもしれません。

後援会関係者によると押しの強い今どきの女性は苦手で、どちらかというと古風な大和撫子が好みで、芸能人では仲間由紀恵さんがタイプだそう。

確かに仲間さんは大和撫子という言葉がぴったりくる女性です。清楚で夫を立ててくれそうな感じがします。

相撲界では後援会が力士の嫁探しをすることも多いようですが、親方と結婚するとおかみさんになるわけなので、女性の方も覚悟が必要ですよね。

弟子の世話やら雑用やらおかみさんの仕事は大変です。

そのためおかみさんに適した女性を探すのも難しいようです。

お父様は39歳の時に結婚されているので、親方も晩婚になるかもしれませんね。

まとめ

元横綱稀勢の里の荒磯親方の両親と姉、子ども時代、嫁取りについてまとめました。

親方の体の基礎はお母様による食事によって作られていたのですね。愛情たっぷりに育てられたのでしょう。

そしてお父様によって相撲を始めるきっかけが作られていました。

親方となった今はおかみさんになる女性が気になりますが、本人には早く結婚したいという気持ちがないようです。

親方はどんな女性を気に入るのか、楽しみに待ちたいと思います。

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