
木瀬部屋の徳勝龍関は幕尻で初優勝したことで、脚光を浴びました。
明るい性格で人気も上がったようですね。
そんな徳勝龍関を育てた両親はどのような人なのでしょう。また兄弟はいるのでしょうか。
出身小学校や中学、高校も併せてご紹介します。
徳勝龍の父母
徳勝龍関の父は青木順次さんで、73歳(2020年1月現在)です。
天理高校柔道部出身で、柔道五段。元警察官で、柔道の指導者でもありました。
元警察官なら厳格な人だったのでしょうか。
母はえみ子さんで57歳(2020年1月現在)。お仕事はされているのかはわかりませんでした。
二人の写真がこちら。
徳勝龍優勝に父感涙「真っ向勝負よくやった」 https://t.co/P0DoClm4qe
— 産経ニュースWEST (@SankeiNews_WEST) January 26, 2020
徳勝龍関はお父様によく似ていますね。特に目元がそっくりです!
写真で見る限りは元警察官を感じさせるような怖そうな印象はありませんね。
兄弟はいる?
徳勝龍関の兄弟の情報はありませんでしたが、陽人(はると)さんという甥っ子と茜さんという姪っ子がいます。
ツイッターにこんな情報がありました。
【德勝龍情報】
甥っ子と姪っ子が可愛くて仕方ない德勝龍。
ムービーを見て癒されているそうです。 #徳勝龍— 德勝龍bot (@tokusyoryu_bot) September 21, 2016
かわいがっているようですね。子ども好きなのでしょう。
優勝した千秋楽には徳勝龍関のお母様と一緒に、甥っ子と姪っ子が奈良から国技館に応援に駆けつけたそうですよ。
出身校
徳勝龍関は奈良の橿原市立新沢小学校と橿原市立光陽中学校を卒業し、相撲の強豪校である高知県の明徳義塾高校に進学しました。
この高校の卒業生には元横綱の朝青龍や栃煌山関、志摩の海関、琴奨菊関などがいます。
その後近畿大学経営学部に進学します。
同大学の卒業生には第4代朝潮や、朝乃山関、志摩の海関、宝富士関などがいます。
相撲の経歴
入門前
柔道の指導者でもある父親の影響で3歳から柔道を習い、小学2年生の時には野球も始めました。
そしてわんぱく相撲に出場できる小学4年生の時から相撲を始めました。
中学に入ると大阪の道場に父の送迎で通い、その後明徳義塾高校へ進学。
高校2年生でインターハイ団体優勝、個人では2年生の時に国体16強、3年生で金沢大会8強になります。
しかし高校で実力者との差を痛感し、実業団に進もうと考えていたそうです。
その時に近畿大学相撲部監督の伊東勝人さんにスカウトされ、近畿大学に進学します。
大学では西日本学生相撲選手権大会、全国大学選抜相撲高知大会で優勝しました。
入門後
大学4年生の時、2009年1月場所で初土俵を踏み、同年11月場所で幕下に昇進。
2011年1月場所から四股名を本名の青木から德勝龍に改名しました。
「徳」は母校の明徳義塾から、「勝」は近畿大学の恩師・伊東勝人監督から取りました。
2011年11月場所で十両昇進。
2012年3月場所では幕下に陥落しますが、1場所で十両に復帰。
2013年7月場所で新入幕となります。
2014年9月場所で十両へ陥落しましたが、1場所で幕内に復帰。
2016年11月場所で再び十両に陥落しますが、2017年3月場所で再入幕。
同年11月場所で再び十両に陥落します。
2018年は6場所とも十両で相撲を取り、2019年5月場所で再入幕となりました。
しかし1場所で十両に陥落しました。
涙の初優勝は記録ずくめ
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2020年1月場所で再入幕になると、徳勝龍関は14勝1敗という成績で初優勝を果たしました。
三賞初となる殊勲賞、敢闘賞も同時に受賞しています。
徳勝龍関は何度も十両に陥落しながら幕内に戻り、苦労して優勝をつかんでいるんですね。
場所中には近畿大学の恩師が急逝しました。
優勝インタビューで監督に話が及ぶと「監督が一緒に土俵にいて戦ってくれた」と語りました。
同じ近畿大学出身の後輩である朝乃山関が言うには「まるで監督が一緒に土俵で相撲をとっているんじゃないかと思うくらい神がかっていた」そうですよ。
33歳5ヶ月での初優勝は日本出身力士としては最年長で、再入幕力士としては史上初です。
奈良県出身力士では98年ぶり。そして幕尻力士の優勝は2000年春場所の貴闘力以来でした。
私は幕尻だしそのうち負けるだろうと思っていましたが、審判部も同じように思っていたようで、千秋楽になって慌てて大関貴景勝関との結びの一番を組んだそうです。
横綱は二人とも休場でしたし、大関を破っての優勝だったので、誰もが納得の優勝だったのではないかと思います。
左四つで開花
徳勝龍関所属の木瀬部屋は2010年5月に閉鎖となり(後に復活)、力士は一時期北の湖部屋に移籍しています。
徳勝龍関は相撲を始めた小学生の時からずっと突き押し相撲でしたが、当時幕下上位だった徳勝龍関に北の湖親方が次のように言ったそうです。
「お前は押し相撲だと思っているだろう。左四つだ。左四つでいけ」
徳勝龍関はその言葉を信じて左四つを試したところ、しっくりときて、そこから左下手、右上手をとる四つ相撲に転向して、十両、幕内上位へと上がっていったのです。
実際、決まり手で一番多いのが寄り切りなんですよ。
貴景勝関に勝った結びの一番も左四つでの寄りでした。
北の湖親方は見る目があったのですね。
まとめ
徳勝龍関の父母・兄弟、出身校、相撲の経歴についてご紹介しました。
高校、大学と相撲の強豪校に通い、入門後は何度も十両に落ちながらも苦労して初賜杯を抱きました。
その陰には恩師や元親方の存在があったようです。
33歳での優勝ですが、本人は「もう33歳じゃなくて、まだ33歳と思って頑張ります」と言っているので、今後の活躍に期待しましょう!
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