王鵬の父は貴闘力、祖父は大鵬で兄弟も力士の相撲一家!母は再婚?

大相撲で活躍している王鵬は父が貴闘力、祖父が昭和の大横綱と呼ばれた大鵬です。兄弟も力士でまさに相撲一家。

王鵬が兄弟の中で一番先に関取になったことで、将来への期待も大きいようですね。

王鵬と父との関係はどんな感じで、母は再婚したのでしょうか。兄弟についてもご紹介します。

王鵬プロフィール

四股名:納谷幸之介(なやこうのすけ)→王鵬幸之介

本名:納谷幸之介

生年月日:2000年2月14日

出身:東京都江東区

身長:189cm

体重:179kg

所属部屋:大嶽部屋

得意技:突き、押し

血液型:A型

趣味:漫画を読むこと

学歴と入門の流れ

王鵬は元関脇貴闘力の三男として生まれました。祖父は第48代横綱大鵬です。

兄が2人、弟が1人います。

父の貴闘力は息子を4人とも力士にするという方針で育て、王鵬も中央区立有馬小学校1年生の時から地元の相撲道場に通っていました。

小さい頃からプロになって、幕内で活躍できる力士になりたいと思っていたそうです。

王鵬はさいたま市立大宮西中学校を卒業後は埼玉栄高校に進学し、3年生の時に国体少年の部の個人と団体の両方で優勝。

祖父の興した大鵬部屋の後身に当たる大嶽部屋へ入門し、高校卒業前の2018年1月場所で初土俵を踏みました。

同期には朝青龍の甥の豊昇龍がいます。豊昇龍が言うには王鵬とは仲がいいそうですよ。

2019年5月場所から2020年11月場所までは、埼玉栄高校相撲部の先輩で同じ二所ノ関一門の貴景勝の付け人を務めました。大関からはいろいろ学ぶことがあったようです。

また王鵬は自他共に認めるおじいちゃん子で、本場所が終わると必ず大鵬の菩提寺の妙久寺を訪れ、墓前に手を合わせているそうです。感心な子ですね。

父は貴闘力

王鵬の父・貴闘力の本名は鎌苅忠茂(かまかりただしげ)さんで、1967年9月28日福岡県福岡市に生まれました。

貴闘力は賭博好きの父親から逃れるため、中卒で藤島部屋に入門しました。

当時の貴闘力の画像がこちら。真ん中ですね。

1983年3月場所で初土俵。

1993年に大鵬の三女・納谷美絵子さん(当時19歳)と結婚し、大鵬の婿養子となりました。

貴闘力は関脇まで昇進し、2000年には史上初の幕尻による幕内最高優勝を達成します。

そして2002年に引退。金星9個、殊勲賞3回、敢闘賞10回、技能賞1回獲得しました。

その後大鵬部屋を継承して部屋師匠となり、部屋の名称は大嶽部屋に変更。

現役中から賭博に手を出し、その借金を義父の大鵬に何度も肩代わりしてもらいました。

2010年7月には野球賭博がバレて、相撲協会を解雇されました。

貴闘力は妻の美絵子さんと話し合いの末、離婚。

その後貴闘力は焼肉店「ドラゴ」を手掛け、プロレスデビューもしましたが、焼肉店が忙しくなってからはプロレスから遠ざかっています。

現在はYouTubeチャンネル「貴闘力部屋~相撲再生計画」で大相撲の裏側をいろいろ暴露しています。

貴闘力は相撲が大好きなので、少しでも角界を良くしたいという思いがあるようですね。

祖父は大鵬

王鵬の祖父・大鵬の本名は納谷幸喜(なやこうき)さんで、1940年5月29日樺太の敷香町に生まれました。

子供の時は貧しくて、大鵬は家計を助けるために納豆を売り歩いていたこともあったそうです。

北海道に来た巡業の食事に感銘を受けたことがきっかけで、高校を中退して二所ノ関部屋に入門。1956年9月場所で初土俵を踏みました。

大関で2場所連続優勝を果たして横綱に昇進。

同時に横綱に昇進した柏戸とともに柏鵬(はくほう)時代を築くことになりました。

30回の優勝を果たした後には一代年寄「大鵬」を授与されました。

大鵬は色白の美男だったため、若い頃は女性ファンが多かったそうです。結婚して娘3人をもうけました。

大鵬は体力の限界により1971年5月場所で引退。幕内最高優勝32回達成し、敢闘賞2回、技能賞1回獲得しました。

その後大鵬部屋を創立。

2013年1月、心室頻拍(しんしつひんぱく)のため死去しました。

死後、国民栄誉賞を授与され、故郷に大鵬の銅像が建立されました。

大鵬は貴闘力と違って、孫に相撲を強制することはなかったそうです。孫を溺愛し、よく遊び相手になっていたそうですよ。

長兄はプロレスラー

王鵬の長兄は納谷幸男(ゆきお)さんで、1994年8月17日生まれです。

父の教えの元、幼稚園の頃から相撲を始め、中学1年で鳥取市立西中学校に相撲留学しましたが、鳥取での環境に馴染めず、2ヶ月で東京に戻りました。

その頃から父の言うことを聞かなかったり、無視したりするようになったそうです。

幸男さんは相撲への興味はなかったものの、埼玉栄高校相撲部の山田監督に「うちに来てほしい」と何度も頭を下げられたことで、進学します。

しかし相撲部での練習は1年だけで、2年生の時にキックボクシングを始めました。

高校卒業後、総合格闘技に興味を持ち、父と親交のある佐山聡率いる掣圏真陰流(せいけんしんかげりゅう)に入門。

その後総合格闘家からプロレスラーへ転向し、2017年9月、東京・後楽園ホールでデビューしました。

内臓で手術に至る大病を患ったため、デビューまで4年かかったのです。

一時は父と疎遠になりましたが、幸男さんはプロレスの世界に入ってから、礼儀を重んじたり人が喜ぶことをする父にすごさを感じるようになり、再び会話するようになりました。

父がプロレスに口出しをしないこともあって、幸男さんは兄弟の中では父と一番関係がいいそうです。

貴闘力のYouTubeチャンネルにも出演したことがあります。それがこちら。

そして父がギャンブルで失敗しているのを目の当たりにしてきたので、自分はギャンブルを絶対にやらないと決めているそうです。

幸男さんのツイッタープロフィールのところに「ギャンブルはやりません」と書かれているので、父とは違うということをみんなにわかってもらいたいみたいですね。

貴闘力も子供の時は父の影響で賭博は大嫌いだったんですけどね。幸男さんの周りに賭博好きの人がいなければいいのですが。

次兄と弟は力士

王鵬の次兄は納谷幸林(たかもり)さんで、1998年1月10日生まれです。

埼玉栄高校と中央大学を卒業し、大嶽部屋に入門。2020年3月場所で初土俵を踏みました。

大学では団体戦のレギュラーではなく、個人戦でも目立った成績を残せませんでした。

そのため大学関係者から角界入りに反対されましたが、「アマチュアで悔いが残っている。プロで勝負したい」と入門を決意したのです。

最初の四股名は「鵬山」でしたが、伸び悩んでいたため「納谷」に変更しました。

そして王鵬の弟は納谷幸成(こうせい)さんで、2001年9月18日生まれです。

埼玉栄高校3年生の時に大嶽部屋に入門し、2019年11月場所で初土俵を踏みました。四股名は「夢道鵬(むどうほう)」です。

「夢道鵬」は知らない人が見たらすぐに読めなさそうですね。私も読めませんでした。

お気づきかと思いますが、王鵬と兄弟の名前にはすべて大鵬の本名「幸喜」から取った「幸」の字が入っています。

幸男、幸林、幸之介、幸成と、大鵬はそれだけ孫がかわいかったのでしょう。

父との関係

先述したように、王鵬の長兄は父・貴闘力との関係は良好ですが、その他の3人兄弟は父とは口をきかないそうです。

貴闘力がYouTubeで相撲界の暴露話などしているので、王鵬たちは父と仲良くしづらいようですね。

4兄弟がそろった写真がこちら。

左から弟の夢道鵬、王鵬、長兄の幸男さん、次兄の納谷ですね。王鵬が一番大鵬に似ているような気がします。

王鵬が言うには兄弟仲は普通だそうです。

母は再婚した?

王鵬の母・納谷美絵子さんは勢いよく土俵に上がって相手にぶつかっていく貴闘力を好きになり、部屋の力士に間を取り持ってもらい、付き合い始めました

貴闘力のギャンブル好きは最初からわかっていたそうです。

父の大鵬はギャンブル癖のことを心配していましたが、それでも美絵子さんが結婚を決めたのは貴闘力がお酒を飲めなかったからでした。

というのも大鵬が大酒飲みで酔って深夜や明け方に帰って来るのを見ていたため、お酒を飲む人が嫌いだったからです。

お酒よりギャンブルの方がましだと思ったようですね。

美絵子さんの若い頃の写真がこちら。

貴闘力が相撲協会を解雇された後に2人は離婚しましたが、貴闘力も美絵子さんも再婚はしていないようです。

王鵬の父・祖父・兄弟・母まとめ

王鵬は元関脇の貴闘力を父に、元横綱の大鵬を祖父に持ち、次兄と弟も力士の相撲一家に育ちました。

長兄は相撲が嫌でプロレスラーになりました。

兄弟3人が力士になったことは貴闘力にとってうれしかったでしょうね。

貴闘力と母の美絵子さんは離婚後、再婚していないようです。

兄弟3人が力士と言うと、荒汐部屋の大波3兄弟(若隆景・若元春・若隆元)がいます。

王鵬も兄弟と切磋琢磨してどこまで強くなっていくのか、今後が楽しみです。

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