片男波親方(玉春日)が結婚したお嫁さんはどんな人?子供は?

元関脇の玉春日は現在、片男波親方として玉鷲関などを指導しています。

現役時代は突き押し相撲で番付を上げましたが、結婚もしました。

お嫁さんは片男波部屋のおかみさんとなりましたが、どんな人なのでしょう。

子供や親方の現役時代についてもご紹介します。

片男波親方(玉春日)の嫁

片男波親方が結婚したお嫁さんの名前は裕起子さんです。

二人は2001年2月に共通の知人に紹介されて出会いました。

親方はこの時まだ現役で、玉春日の四股名で幕内で相撲を取っていました。

玉春日は裕起子さんを

「自分をしっかり持っているところがいい。価値観があっている」

裕起子さんは玉春日を「とても誠実な方」

とお互い好感を持ち、大阪場所後に交際が始まりました。

玉春日は付き合い始めてすぐに結婚を意識したそうです。

交際から半年後の2001年9月にプロポーズをし、2002年の2月には結納を交わしました。

そして6月に東京・帝国ホテルで挙式。このようにあっという間に結婚に至ったんですね。

裕起子さんは書道、生け花が趣味だそうです。

こちらの動画に写っていました。6分過ぎに素顔が見えます。

和服の似合う清楚な女性という感じがしますね。

裕起子さんの年齢や出身などは不明でした。

玉春日は30歳での結婚なので、裕起子さんも同じくらいの年だったのでしょうか。

子供

玉春日と裕起子さんの間に子供がいるかはわかりませんでした。もしいるならかなり大きくなっていると思われます。

息子が入門したという話もないようですね。

プロフィール

四股名:玉春日良二→玉春日公二→玉春日良二

本名:秋山良二(旧姓:松本)

生年月日:1972年1月7日

出身:愛媛県東宇和郡野村町(現:西予市)

改名理由

玉春日は2019年10月8日に、本名が松本良二から秋山良二に変わりました。

この改名理由はわかっていません。

女性なら離婚して旧姓に戻るということがありますが、玉春日は婿だとしても離婚したわけではありません。

玉春日の母親が離婚して松本から旧姓の秋山になり、玉春日も母親の旧姓になったのでしょうか。

改名した力士と言えば、現役中に本名を廣嶋(ひろしま)から須藤に変えた千代大海(現九重親方)がいます。

千代大海の場合は母親の再婚後の戸籍に入らなかったため、出生時の廣嶋姓のままだったのが、引退前になって母親の再婚相手の戸籍に入り須藤になりました。

 

玉春日はどうなのでしょうね。

経歴

玉春日は中央大学を卒業後、片男波部屋に入門し、1994年1月場所で幕下付出で初土俵を踏みました。

玉春日という四股名は野村高校在学時代の下宿先である相撲道場「春日館」に由来します。「玉」は片男波部屋の力士に伝統的に付きますね。

現在放駒親方の玉乃島も元は片男波部屋に所属していました。

 

玉春日は1995年3月場所で十両に昇進し、1996年1月場所で幕内に昇進しました。

1997年7月場所で関脇に昇進。

関脇はこの1場所だけでしたが、全盛期には7個の金星を獲得しました。 

その後はケガもありたびたび十両に落ち、再び十両に下がった2008年9月場所で引退しました。

引退後は年寄・楯山を襲名し、2010年2月には師匠の玉ノ富士との名跡交換により年寄・片男波を襲名し、片男波部屋を継承しました。

現在は相撲協会の委員にもなっていて、審判部・指導普及部の職についています。

片男波親方(玉春日)の嫁、子供まとめ

元玉春日の片男波親方は現役中に知り合った裕起子さんと結婚しました。

親方は裕起子さんを最初から気に入り、すぐに結婚を考えていたようです。

親方は片男波部屋を継承して、裕起子さんはおかみさんになったわけですが、二人に子供がいるかはわかりませんでした。

先代からの弟子である玉鷲関が幕内で2度優勝しましたが、片男波部屋は力士が少ないので、ちょっと先行きが不安でもあります。

▼関連記事▼