
元関脇多賀竜の鏡山親方の息子さんは元力士でした。
そして娘さんは元吉本のお笑い芸人でした。現在は何をされているのでしょうか。
また鏡山親方のお嫁さんはどんな人なのでしょう。
鏡山親方(多賀竜)の娘と息子
鏡山親方には娘さんと息子さんがいます。
長女が黒谷桃子さんで、1985年2月17日生まれです。
桃子さんは近藤ももさんと一緒に「モルモルモルモット」という名前で、吉本のお笑い芸人をしていました。
下の動画の左の女性です。
モルモルモルモットは2011年にデビューして2016年頃に解散しました。桃子さんは引退し、相撲協会の職員になったようです。
鏡山親方は理事という役職についていたので、口利きで娘さんを協会に入れることができたのでしょうか。
協会の中でどんな仕事をしているのかはわかりませんでしたが、すごく気になります。
鏡山親方の長男は黒谷昇太(しょうた)さんで、1986年7月17日生まれです。
東京の修徳高校を中退し、父が師匠を務めていた鏡山部屋に入門し、2003年3月場所で初土俵を踏みました。
四股名は竜勢(りゅうせい)です。
竜勢は2025年5月で引退しました。最高位は東幕下4枚目でした。
鏡山親方(多賀竜)の嫁
鏡山親方は1983年9月に小宅優子さんとの婚約を発表しました。
引用:KYODO NEWS
この時鏡山親方は25歳で、優子さんは27歳でした。
優子さんの出身や職業などはわかりませんでした。
鏡山親方(多賀竜)の経歴
元多賀竜の鏡山親方は1958年2月15日、茨城県日立市で生まれました。
本名は黒谷昇(くろたにのぼる)さんです。
鏡山親方は日立市立多賀中学校を卒業後、職業訓練所を経て、鏡山部屋に入門し、1974年3月場所で初土俵を踏みました。
1981年1月場所で十両に昇進し、1982年5月場所で新入幕。
1983年11月場所で関脇に昇進。
1984年9月場所で、西前頭12枚目の地位で13勝を挙げ、幕内最高優勝を果たしました。
その後は持病の痛風の悪化などにより、成績は上がらず、1991年5月場所中に引退となりました。33歳でした。
現役中に敢闘賞1回、技能賞1回、金星1個獲得しています。
鏡山親方は引退後、年寄・勝ノ浦を襲名し、鏡山部屋付きの親方として指導に当たりました。
1996年12月、7代鏡山(元横綱・柏戸)が亡くなったため、年寄・鏡山を襲名。8代鏡山となりました。
2010年からは相撲協会の理事を務めていましたが、2022年3月の役員改選の時には停年が近いことから理事に立候補せず、役員待遇委員に任命されました。
そして2023年2月15日に停年となりましたが、再雇用によって協会に在職し、2025年4月には追手風部屋に移りました。
鏡山親方(多賀竜)の息子、娘、嫁のまとめ
元関脇多賀竜の鏡山親方は25歳の時に27歳の女性と結婚しました。
鏡山親方の息子さんは元力士の竜勢で、最高位は東幕下4枚目でした。
鏡山親方の娘さんは元吉本のお笑い芸人で、今は相撲協会の職員のようです。
娘さんはどんな仕事をされているのかはわかりませんでした。親子で顔を合わせることもあるのでしょうか。
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