豪ノ山の母と父は離婚した?兄弟はいる?家族まとめ!

豪ノ山関は師匠の武隈親方と同じ大阪府寝屋川市出身です。

二人は顔もどことなく似ていますね。

豪ノ山関の実家の母親と父親はどんな人で、兄弟はいるのでしょうか。

家族についてまとめました。

豪ノ山の母親と父親

豪ノ山

豪ノ山関は1998年4月7日、大阪府寝屋川市に生まれました。

母親の名前は西川香織さんです。

雑誌「相撲」を見ると、豪ノ山関の家族のところに父の記載がないので、豪ノ山関は母子家庭なのでしょう。

写真で見ると、母親の香織さんは目がぱっちりしたきれいな人で、豪ノ山関とはあまり似ていないと私は思いました。

多分、豪ノ山関は父親似なのでしょうね。

母親によると、豪ノ山関は生まれた時は3,470gあり、母乳をよく飲んですくすく育ちました。

食べるのが好きで1歳の時からスプーンを持って食べていて、寝るのも早く、手のかからない子供でした。

だから他の子よりも大きくなるのが早かったようで、幼稚園では他の子よりも一周り大きい子でした。

豪ノ山関はスーパー戦隊シリーズが大好きで、母親が衣装を手作りしたこともあったそうです。活発な子供だったのでしょう。

一方性格はおとなしく、悪いことをしなかったので、母が怒ったことはなかったそうです。

豪ノ山関は年長の時に初めてわんぱく相撲に出場しましたが、幼稚園の頃から稽古を休みたがることはなく、楽しそうにやっていたとのこと。

さらに寝屋川の境川部屋は実家の近くにあるため、豪ノ山関は小学生の時、稽古をよく見に行っていました。

そのうち顔パス状態になったというんですから、よほど通っていたのでしょう。

境川部屋の師範代である舞の海さんは、母の香織さんと話したことがあるそうです。

その時香織さんは

「息子が相撲をやりたいから埼玉栄高校に行きたいと言っているけど、授業料が高いので行かせてあげることができるかわからない」

と、舞の海さんに言ったそうです。

だとすると豪ノ山関は中学生の時にはすでに、母親一人で育ててもらっていた可能性があります。

父親は早くに亡くなったのか、両親は離婚したのかもしれませんね。

埼玉栄は豪ノ山関が行きたいと言った唯一の学校だったので、母は応援したいという気持ちだったそうです。

豪ノ山関は中学を卒業後に希望通り埼玉栄に進学し、中央大学にまで行きました。

本当は高卒で入門したかったようですが、高校1年生の時に怪我をした影響から、大学に進学することになったのです。

 

母は大会の追っかけをして楽しんでいたそうです。

豪ノ山関が大相撲の世界に入って関取になったことは、母に対して恩返しにもなったのでしょう。

母は昔、豪栄道(武隈親方)の母が土俵の上の豪栄道を嬉しそうに応援しているのを見て、うらやましいと思ったことがあるそうです。

その同じ土俵に自分の息子が立ち、お客さんから声援を送られているのを聞いて、母は感動したそう。本当に嬉しかったのでしょう。

また祖父母は豪ノ山関を生きがいにしているそうです。

父親ももし元気なら、豪ノ山関を応援しているに違いありません。

豪ノ山の兄弟

豪ノ山関は3人兄弟で、2歳上の兄・拓海さんと2歳下の妹・鈴菜さんがいます。

豪ノ山関は1998年生まれなので、兄も妹もすでに学校を卒業している年齢ですね。

母によれば、兄は豪ノ山関が小さい時から遊んでくれて、双子のように育ったそうで、兄弟3人仲がいいとのこと。

兄は面倒見がよく、大阪場所中の休みの時には豪ノ山関の場所ヘの送り迎えをしてくれるそうです。

本当に弟思いのお兄さんですね。

豪ノ山関は境川部屋に入門しましたが、師匠の武隈親方が武隈部屋を新設した時に武隈部屋に移っています。

境川部屋も武隈部屋も大阪の宿舎は寝屋川市にあり、お互い4キロくらいしか離れていないので、車ならすぐですね。

兄弟3人とも幼い頃から空手をやっていましたが、豪ノ山関が年長の時に兄が小学校でもらってきたわんぱく相撲のチラシに「幼児の部」と書かれていました。

それが豪ノ山関が相撲を始めるきっかけになったのです。

豪ノ山関は武隈親方によれば「普段は穏やかな性格」で、埼玉栄高校相撲部の監督も「性格が穏やか。面倒見も良く引っ張る素質もあった」と言っています。

真ん中の子は面倒見が良く、優しい傾向にあるそうなので、豪ノ山関もその特徴に当てはまっているようですね。

豪ノ山関はきっと、妹さんの面倒も良く見ていたのだと思います。

一方、豪ノ山関は張られたら張り返すような気の強いところも見られるので、勝負師に向いているのでしょうね。

豪ノ山の家族まとめ

豪ノ山関は中学生の時にはすでに父親はおらず、母子家庭だったと思われます。

豪ノ山関は3人兄弟の真ん中で、兄と妹がいます。

母親の香織さんは子供3人を1人で育てなければならなかったので、大変だったのではないでしょうか。

母に恩返しをしたいという理由で角界入りする人もいますが、豪ノ山関も関取になったことで恩返しできたという気持ちがあるのではないかと思います。

今後どれだけ番付を上げるか楽しみですね。

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