人気力士の遠藤関は入門した時からずっと今まで、四股名は本名の遠藤のままですよね。
出世を機に改名する力士が多い中、本名を通す力士は少ないので特に目立つようです。
なぜ遠藤関は四股名を変えないのでしょうか。
遠藤の四股名が本名のわけ
大相撲に入門して初土俵を踏む時は普通、本名を四股名にして、関取になるまでに変える場合が多いです。
遠藤関も2013年3月、幕下10枚目格付出で「遠藤」を四股名として初土俵を踏みました。
すると2場所続けて5勝2敗となり、7月場所番付編成会議では新十両昇進が決まったのです。
本当は新十両昇進を機に本名から改名するつもりだったのですが、本人も師匠の追手風親方も「今回上がるのは厳しい」と考えていたため、四股名を決めていなかったのです。
そのため改名は見送り、遠藤のまましばらく行くことになりました。
遠藤関自身は所要1場所での新十両昇進を目標としていたので、2場所で幕下を通過するのは想定内だったのかもしれませんが、成績を考えると予想外の昇進だったので驚いたようです。
2013年7月場所で十両に上がると14勝1敗で優勝し、9月場所で新入幕となりました。
史上4人目となる十両1場所通過、幕下付出から史上最速の所要3場所での新入幕というスピード出世だったため、流れを変えないために四股名は改名せず、遠藤のままで入幕することになりました。
もし遠藤関がもう少し昇進に時間がかかっていたら、四股名を改名していたのでしょうね。
2014年1月には、追手風親方はまだ遠藤関の四股名を変えるつもりはないと言っています。
ただこの時には四股名の候補はあって、しかるべき時がきたら改名する用意はあったそうですね。
入幕してから1年以上がたった2015年2月には、追手風親方は「大関、三役などに番付が上がっても、四股名は変えないで行きます。これで変えたらおかしくなりますから」と明言しています。
遠藤人気が湧き上がり、[遠藤」という名前が浸透したので、変えないほうがいいと考えたようですね。
清水川が改名候補?
実は遠藤関には過去、四股名の候補が報道されたことがありました。それが「清水川」で、追手風部屋伝統の四股名です。
清水川は1937年に引退した大関で、苦労人で人格者としても定評があり、追手風部屋を創設した人でした。
しかし清水川への改名は本人や親方が明言したわけではなかったのです。
2018年3月には親方は「新三役では改名はしない。認知もされているし、遠藤で行く」と言いました。
その言葉通り、2018年5月場所で遠藤関が新小結に昇進した時には改名しませんでした。
解説の北の富士さんは「三役昇進を果たした際には、追手風部屋ゆかりの清水川という素晴らしい四股名をぜひ名乗ってもらいたい」と希望されていましたが、叶いませんでしたね。
2018年11月に行われたトークショーで、司会者から今後四股名を変える予定はないかと聞かれた遠藤関は「入門した時は親方と相談していたけどタイミングがなかった。今は大人の事情ですね」と答えました。
大人の事情が何を指すのかわかりませんが、遠藤関はずっと遠藤のままのようです。
四股名を本名で通す力士は少ない
現在幕内力士で本名が四股名の力士には、遠藤関以外に正代関、高安関、宇良関がいます。
高安関は大関に上がっても高安でしたし、横綱昇進後も改名しないことを公言していました。
正代関も大関に昇進した後も正代のままでしたし、宇良関も今後も変える予定はないそうです。
本名で大関に上がったのは高安関と正代関以外では輪島、北尾、出島だけです。
その中で本名で横綱まで上がったのは輪島ただ一人です。
北尾は横綱昇進時に双羽黒に改名していますし、出島は大関止まりでした。
ところで輪島は石川県七尾市出身、出島は石川県金沢市出身です。
遠藤関も石川県出身で、入門の記者会見では輪島が目標と語っているんですよね。
だから本名のまま横綱に上がった輪島を意識して、遠藤を貫く気持ちはあるかもしれません。
まとめ
遠藤関は十両昇進の時に四股名を変えるつもりが、機会を逃してしまってそのままになってしまいました。
そしてスピード出世で有名になり、大人気となったので、認知されている遠藤で通すことにしたようです。
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