相撲 遠藤の実家の両親や兄弟はどんな人?性格も気になる!

大相撲力士の遠藤関はイケメンとして女性に人気がありますよね。

そんなイケメンを生んだ実家の両親や、兄弟はどんな人なのでしょう。

遠藤関の家族と性格について調べました。

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遠藤まとめ

遠藤関の実家

遠藤関は1990年10月19日、石川県鳳珠郡(ほうすぐん)穴水町で生まれました。

実家は穴水湾に面した穴水町中居地区という場所にあります。

遠藤関によれば

実家から一歩出れば山が迫り、背後には海、耳を澄ませば波の音が聞こえます。僕は家の中で遊ぶような子どもではなかった。今日は海に行こうとか、今日は山だとか、友達と言い合って遊びました。海と山。「穴水」と言われて思い出す心の風景です。

引用:東京新聞TOKYO Web

遠藤関の祖父のさんは穴水町で先代から続く「遠藤清一商店」を営み、日本で2店ほどしかない海ごりの佃煮を手作りされています。

海ごりはハゼの仲間で、佃煮は能登限定の珍味です。

遠藤関は祖父が捕ってきた魚で作るごりの佃煮とか、コノワタなどの珍味が好きで、昔は毎日食べていたそうです。

遠藤関はまた、カキ養殖をしていた祖父の手伝いをよくしていて、カキが大好きで子どもの頃からたくさん食べていたそう。

遠藤関は小学1年生の時から半ば強制的に相撲の稽古をさせられただけに、稽古を逃げたことがあり、そんな時には祖父の家にかくまってもらうことが多かったといいます。

おじいちゃん子だったのでしょうか。

2024年の元日に能登半島地震が起きましたが、祖父の住宅の基礎にひびが入って、応急危険度判定では「危険」とされました。

しかし遠藤関の祖母かおるさんとともに、自宅にとどまったそうです。

遠藤関は地震後、祖父とは数日間連絡がつかなかったようで、「地震速報で『能登』と出た時、パニックになり、生きた心地がしなかった。 心配で仕方がなかった」と言っていました。

遠藤関は被災者に元気を届けるために、地震後の初場所では初日から地元にゆかりのある化粧まわしを着用しました。

能登の伝統的なボラ漁に使う「ボラ待ちやぐら」や石川県の地図が描かれているものなどを、日替わりで身に着けていたのです。

遠藤関の思いを感じた私は涙が出そうになりましたよ。

 

実は遠藤関は場所前からひざの具合が良くなかったようですが、15日間真っ向勝負でした。

最近時々見せる変化もありませんでした。そんな遠藤関の相撲は確かに被災者を勇気づけたと思います。

遠藤関の両親と兄弟

遠藤関のの名前は吉樹さんで、建設機械大手・日立建機の協力会社に勤務されています。

その関係で遠藤関は日立建機からも化粧まわしを贈られました。

幼少期の遠藤関はすぐに拗ねる子だったため、父は礼儀や忍耐を身につけさせる目的で遠藤関を相撲教室に参加させました。

父は「好きなドライブに連れて行ってやる」と嘘をついて、遠藤関を相撲場に連れていったそうです。

着いた場所が相撲場で遠藤関はがっかりしたでしょうね。

の名前は玲子さんで、事務の仕事をされているそうです。

遠藤関の両親も能登半島地震直後に避難したため、無事だったようです。

遠藤関は家族が無事と知ってほっとしたことでしょう。

そして遠藤関には3歳下の亜美さんというがいます。妹さんは石川県に在住なのかは不明です。

以前放送された「情熱大陸」で若い頃の両親と妹さんの写真が映っていましたが、父はなかなかのイケメン、母もきれいな人でした。

イケメンの遠藤関が生まれるわけですね。

遠藤関の性格

遠藤関は自称「完璧主義者」。そしてきれい好きな性格のようです。

「情熱大陸」では、遠藤関の個室を見た人が「部屋めちゃめちゃきれいですね」と言っていました。男でお相撲さんときたら、部屋も汚そうな印象があったのでしょうね。

また遠藤関は壁に飾った額の後ろを見て「ここにホコリがたまるんだろうな」と気にしていたので、そういう細かい所にも目が行く人のようです。

そして24時間相撲のことを考えているという真面目さもあります。

師匠の追手風親方によれば、遠藤関は「性格は真面目。人から言われる前にきちっとするタイプ」だそう。

中学の時の相撲部の顧問によると、遠藤関は明るくてユニークで華があったそうです。

今の遠藤関を見ていると、明るいというよりむしろ暗いと思うのは私だけではないでしょう。

金星を獲得した時などのインタビューを見ていても、小さい声でボソボソと必要最小限だけ答えるという感じです。

もともと口数が少なく、親しい記者にも個人的なことはほとんど話さない寡黙な人のようですね。

以前、ケガをした時に記事でまったく違ったことを書かれたことがあり、それ以来記者には笑顔を見せることが少なくなり、塩対応をするようになったと言われます。

だから余計なことはできるだけ言わないようにしているのかもしれませんね。

遠藤関は気持ちを秘めて表に出さないタイプとも言われます。それがわかるこんなことがありました。

2021年5月場所で大関貴景勝関に勝った後のインタビューで、次のように話したのです。

「相手が大関とかじゃなく、今日はちょっとどうしても勝ちたかったので勝てて良かった」

「わかる人にはわかるので本当に勝てて良かった」

そのインタビューを聞いていた私は「私にはわからないんですけど?」と思ったんですよね。

インタビュー後にわかったことですが、その日は長く付け人を務めていた兄弟子の大翔龍が現役最後の取組をしていたのです。

インタビューをそばで聞いていた大翔龍は涙していたそうですよ。

遠藤関は付け人のためにどうしても勝ちたかったのでしょう。それを知った私は遠藤関に男気を感じました。

遠藤の実家の家族と性格のまとめ

遠藤関の実家は石川県穴水町にあります。

両親は会社勤めをされていて、3歳下の妹さんがいます。

遠藤関は完璧主義者できれい好き、真面目な性格のようです。

そして意外にも元は明るい性格のようですね。

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