熱海富士の出身小学校、中学、高校の成績は?学歴まとめ!

伊勢ケ濱部屋の熱海富士関はどんどん強くなってきて、これからの活躍が期待できます。

熱海富士関の出身小学校、中学、高校はどこなのでしょう。

熱海富士関の学歴と相撲の成績についてまとめました。

熱海富士の出身小学校

熱海富士関は2002年9月3日、千葉県で生まれました。

小学2年生の時に熱海市に移り、熱海市立第二小学校に入りました。

小学生の時は柔道と野球に打ち込んでいましたが、5年生の時にわんぱく相撲地区大会「三島場所」で優勝したことで、相撲の魅力にとりつかれました。

そして6年生の時に三島相撲クラブで本格的に相撲を始めました。

5、6年生の時の担任によると、熱海富士関は6年生の時には体重が100kgを超え、学校が体重計を買い替えなければいけないほどだったそうです。

さらに給食は山盛りで「カレーは飲み物」と言っていたそうです(*´꒳`*)

趣味は食べ歩きというくらいなので、子供の時からよく食べていたんですね。

体が大きかったことから、熱海富士関は周囲に角界入りを期待されていました。

熱海富士関も小学校の卒業文集では「将来力士になります。四股名には熱海を入れます」などと具体的に書いています。

そして入門後に希望通り「熱海富士」という四股名にしたわけですね。

熱海富士の出身中学校

熱海富士関は小学校を卒業後、日本大学三島中学校に進学し、柔道部に所属しました。

しかし勝負が早い相撲の方が自分に合っていると考えた熱海富士関は、相撲部のある熱海市立熱海中学校に転校し、相撲に専念しました。

2年生の時に中学校総合体育大会相撲競技で個人7位、静岡県中学生相撲選手権大会で5位となりました。

3年生の時には全国中学校相撲選手権大会個人5位、東海中学校総合体育大会相撲競技で優勝という成績を残しています。

また美術の教師によると、熱海富士関は授業で相撲を題材に粘土の作品を作ったそうです。

中学でも力士になる夢を持ち続けていたようですね。

熱海富士関の母によると、中学時代には毎食4合近くの米を食べ、牛乳1リットルを飲み干していたそうです。

そのため母が食事前に腹を膨らませるため、熱海富士関に豆腐1丁を食べさせていたそうですが、食欲が全然落ちない上に、着る服も季節ごとに買い替えていたそう。

すごいですね。食欲旺盛な子供だったことがわかります。

熱海富士の出身高校

熱海富士関は昼も夜も働く母を見ていたので、早くお金を稼ぎたいと思い、中卒での角界入りを考えていました。

しかし母は「私も大変だけど高校だけは行ってほしい」と進学を望みました。

熱海富士関は中学時代から練習参加していた飛龍高校から声をかけてもらったこともあり、特待生として飛龍高校に進学することになりました。

偏差値は38~39となっています。

熱海富士関は1年生の時からレギュラーで活躍し、2年生の時に国体の少年男子団体4位になりました。

3年生の時はコロナで主要な大会はすべて中止になったため、熱海富士関は残念だったようです。

しかし2年生の時に団体で4位になったことで、全国で通用することがわかって自信になったそう。

ちなみに同じ部屋の翠富士関も飛龍高校出身で、主将を務めていました(翠富士関のほうが6歳上)。

 

飛龍高相撲部の監督によると、熱海富士関は当時から関取になる強い気持ちがあったそうです。

また食力は卒業生の中でもトップクラスで、3年間で130kgから170kgにまで増量したと言うのです。

熱海富士関は高校に行っても力士になるべく、たくさん食べていたのでしょう。

熱海富士関は多くの相撲部屋から誘いを受けましたが、関取になりたいために、稽古の厳しい伊勢ケ濱部屋を選びました。

目標とする力士は兄弟子の照ノ富士関で、「お手本であり憧れの存在。よく指導してくれ、気に掛けてもらっている」そうです。

照ノ富士関に憧れているのは尊富士関と同じです。

尊富士関は照ノ富士関が部屋にいることと、やはり稽古が厳しいという理由で伊勢ケ濱部屋を選んでいます。

 

伊勢ヶ濱部屋には横綱を始め、関取がたくさんいるので、稽古環境に恵まれていますね。

熱海富士関は稽古熱心なので、どんどん強くなることが期待できます。

熱海富士の学歴(出身小学校、中学、高校)のまとめ

熱海富士関は小学2年生の時に熱海市立第二小学校に転校しました。

そして日本大学三島中学校に入り、その後熱海市立熱海中学校に転校。

中学を卒業後は飛龍高校に進学し、相撲を続けました。

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