歴代豊山はこんな人!初代から3代のまとめ!

3代目豊山は2022年11月場所で引退しました。

初代、2代目の豊山はどのような力士だったのでしょうか。

歴代の豊山についてまとめました。

初代豊山勝男

豊山勝男

プロフィール

本名:内田勝男(かつお)

出身:新潟県新発田市(しばたし)

生年月日:1937年8月18日

得意技:突っ張り、右四つ、吊り、寄り、上手投げ

最高位:東大関

経歴

初代豊山は新潟県立新発田商工高校を卒業し、東京農業大学に進学してから相撲を始めました。

小さい頃に相撲を始める力士は多いですが、初代豊山は大学に入るまで相撲はしたことがなかったそうです。

それでも4年生の時には学生横綱となり、時津風部屋に入門します。

学生で優秀な成績を収めたため、幕下付出の資格を得て、1961年3月場所で幕下10枚目格付出で初土俵を踏みました。

当時は大学出の力士は珍しかったそうです。

1961年9月場所で十両に昇進し、11月場所で全勝優勝をすると、わずか2場所で十両を通過。1962年1月場所で新入幕となりました。

この時豊山に改名しています。

1963年3月場所で大関に昇進。新入幕から1年ちょっとという速さでした。

このように順調に番付を上げてきて、横綱間違いなしと言われました。

しかし、大鵬の全盛期とも重なり幕内での優勝はなく、大関数在位34場所で1968年9月場所で引退となったのです。31歳の時でした。

殊勲賞は3回、敢闘賞は4回獲得しています。

その後時津風部屋を継承。

そして相撲協会の理事になると、その後理事長にも就任し、最後は相談役となって2002年に定年退職しました。

現在もお元気のようです。下の写真の先代師匠が初代豊山です。

2代目豊山広光

豊山広光

プロフィール

本名:長濱廣光(ながはまひろみつ)

出身:新潟県新発田市

生年月日:1947年10月22日

得意技:右四つ、突っ張り、吊り、寄り

最高位:東小結

経歴

2代目豊山は幼い頃から相撲を始め、新発田農業高校では全国大会で優勝し高校横綱になりました。

そして初代豊山と同じ東京農業大学に進学します。

卒業後は教員になるつもりで教員免許を取得しましたが、時津風親方となっていた初代豊山に勧誘され、時津風部屋に入門しました。

1970年3月場所で幕下付出で初土俵を踏みます。

同年9月場所で十両に昇進。初代と同様3場所での昇進でした。

しかし十両はすぐに通過できず、1971年11月場所で新入幕となりました。

1972年7月に験直しとして四股名を豊山に改名します。

1972年9月場所で新小結に昇進。

幕内では長い間相撲を取りましたが、晩年は十両に落ち、幕下陥落が濃厚となった1981年5月場所で引退となりました。33歳でした。

最高位は東小結で、殊勲賞は1回、敢闘賞は2回獲得しています。

1982年12月、時津風部屋から独立して湊部屋を創設。

その後は勝負審判を務め、副理事にも就任して2012年に停年退職しました。

2020年9月、膵臓がんのため72歳で亡くなりました。

なお、初代と2代目の故郷・新発田市にある「ドライブイン豊山」という食堂には、化粧まわしなどが展示されています。

二人と同食堂の先代社長が親友同士で、故郷に豊山の名前を残したいということでこの店名になったそうです。

ちなみに俳優の松重豊さんの名前の由来が初代豊山で、親が命名したそうです。

そのため松重さんは2代目豊山を応援していたようですね。

松重さんは1963年生まれで、5歳の時に初代は引退していますが、2代目は子供の時によくテレビで見ていたのでしょう。

中学3年の時には相撲雑誌での企画に応募して当選し、2代目豊山と対談もしています。

ファンの力士と対談なんて、松重さんはうれしかったでしょうね。

3代目豊山亮太

豊山亮太

プロフィール

本名:小柳亮太(おやなぎりょうた)

出身:新潟県新潟市北区

生年月日:1993年9月22日

得意技:突き・押し

最高位:西前頭筆頭

経歴

3代目の豊山も初代、2代目と同じ東京農業大学に進学しました。

三段目付出資格を得て、時津風部屋に入門し、2016年3月場所で三段目最下位格付出で初土俵を踏みました。

3代目豊山が目標とする力士・尊敬する人は、初代豊山でした。

3代目豊山は現役時代の初代も2代目も見ていないわけですが、二人のことは知っていて、大学に入学した頃から豊山という四股名は意識していたそうです。

故郷が同じで大学も同じならやはり意識するのでしょうね。

そして2017年5月場所で新入幕を果たし、豊山に改名した時、初代豊山に「きみはきみの豊山で頑張りなさい」と言われたそうです。

尊敬する人にそう言われて、うれしかったでしょう。

2020年7月場所で最高位の西前頭筆頭まで上がりましたが、十両に落ちた2022年11月場所で、腕の痛みにより引退しました。29歳でした。

敢闘賞1回獲得しています。

3代目豊山が最後の対戦で負けた時、花道を引き揚げる時に笑顔を見せていましたが、これで現役最後という気持ちだったのでしょうか。

引退後は相撲協会に残らず、相撲パーソナルトレーナーとして活動しています。

もう一人の豊山

実はもう一人豊山という四股名の力士がいました。

それが豊山鬼吉(おにきち)です。本名は矢野忠治(やのちゅうじ)さんで、1925年9月29日、秋田県雄勝郡羽後町に生まれました。

樺太の高等小学校を卒業後、仙台航空機乗員養成所を経て、飛行機の操縦士となります。

その後兵役を経て、錦島部屋に入門しました。

1946年11月場所で初土俵を踏み、1953年3月場所で新入幕を果たしましたが、軽量だったことから幕内はこの一場所で終わりました。

1954年11月場所で、29歳の時に引退となりました。最高位は西前頭17枚目でした。

途中、錦島部屋から伊勢ノ海部屋へ変わっています。

引退後は釧路市議会議員と議長を務めました。

2011年3月、急性心筋梗塞のため85歳で亡くなりました。

スポーツ記事などでは初代の豊山は豊山勝男となっているので、こちらの記事でも合わせました。

豊山鬼吉は錦島部屋と伊勢ノ海部屋の所属だったので、時津風部屋の歴代の豊山とは別に考えたほうがいいようです。

歴代豊山のまとめ

歴代豊山をご紹介しました。

新潟から豊山が3代も出るのはすごいことですよね。

私は3代目しか知りませんが、朝乃山とはライバルでもあり、仲良しでもあったのでずっと注目していました。

それだけに引退にはショックを受けました。

第2の人生でも頑張ってほしいですね。