照強の実家の両親や兄弟はどんな人なのでしょう。
また中学時代は元ヤンキーだったという噂がありますが、本当なのでしょうか。
照強の家族についてまとめました。
照強プロフィール
本名:福岡翔輝
四股名:照強翔輝(てるつよししょうき)
愛称:しょうき
生年月日:1995年1月17日
出身:兵庫県南あわじ市(出生地は洲本市)
血液型:O型
趣味:DVD鑑賞、釣り、料理、サッカー観戦
所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
得意技:左四つ、右前褌、寄り、投げ、突き落とし
照強の家族
両親は離婚
照強の母親の名前は菊井真樹さんです。
1995年1月17日、兵庫県南あわじ市の自宅で激しい揺れに襲われました。
真樹さんはその時陣痛が起きていて、座っていられない状況になってきたため、病院まで家業の瓦工場で使っていた軽ワゴンで運んでもらいました。
家は亀裂が入る程度で済んで、照強は阪神淡路大震災発生の15時間後に無事に生まれました。
体重は2922kgだったので、平均体重より少し少ないくらいでしょうか。
父親の名前は福岡一賀さんです。南あわじ市の株式会社広瀬青果で専務取締役をされていたようです。
照強が小学3年生の時に両親が離婚して、親権は母親が持つことになりましたが、姓名判断を受けた結果、父親の姓の「福岡」のままがいいとなったようです。
両親が離婚してからは、中学を出るまで母親が女手一つで育ててくれました。
照強にとって母親は友達という感覚だそうですよ。きっとなんでも話ができるほど仲がいいのでしょうね。
そして母親は照強の取り組みをハラハラ・ドキドキしすぎて、テレビでは見られなかったそうです。
親ならそうなりますよね。
私でも好きな力士の取り組みの時はいつもドキドキして、足が震えそうになるほどですから(笑)。
兄弟は妹が一人
照強の妹さんの名前は菊井沙希さんです。妹さんの方は母親の旧姓なんですね。
妹さんはお兄ちゃんのことは好きだけれど、顔が似ていると言われるのが嫌だそうです。
照強は全裸で自転車に乗ったり川で泳いだりしていたそうで(笑)、妹さんからしたら恥ずかしかったと思います。
新十両への昇進が決まってから、照強は妹さんの看護系の大学の受験費用を出してあげました。
その他、中学生時代に亡くなった祖父の墓の費用を全額負担しているんですよ。
お墓の全国の平均費用は180万円から200万円程度なので、20歳そこそこの普通の若者なら、なかなかできることではないでしょう。
しかし幕下以下は給料は出ませんが、十両となると月給が100万円ほどなので、照強は普通の会社員よりは高給取りになります。
母親が苦労して子ども二人を育ててくれているので、照強は親孝行をしたのでしょう。
中学時代はヤンキー
照強は気が強く、6歳のころには親の名前でさえ呼び捨てにするほど、やんちゃだったそうです。
洋画を見ているとよく親を名前で読んでいますが、日本ではあまり聞きませんよね(笑)。
そして中学2年生の時にはなんと、坊主頭に剃りこみを入れ、3年生の時には金髪になりました。
学校には年間30日しか出席しなくなり、夜通し遊び続けていたそうです。
学校に行っても大体教室には行かず、体育倉庫に常にいたそうです。筋金入りのヤンキーじゃないですか。
母親も心配したでしょうね。担任の先生から呼び出しを受けたこともあったと思います。
そんな一方、片目に障害のある犬を見つけた時、母親は飼うのを反対したそうですが、「そんな子ほどもらって大事にせなあかん!」と言って飼い始めたそうです。
心優しいところもあるんですね。
また、「角界一のおしゃべり」と言われていて、先輩力士の付け人をしていた時にあまりにうるさくて、口にガムテープを貼られていたこともあったとか(笑)。
しゃべりだしたら止まらない性格なのでしょうね。
照強の両親、兄弟、中学時代のまとめ
照強の両親は離婚して、母親が女手一つで育ててくれました。
照強には妹さんが一人いて、照強が大学の受験費用を出してあげています。いいお兄ちゃんなのでしょうね。
一方、中学時代はあまり学校に行かないヤンキーでした。
照強は震災の日に生まれたということで、誕生日はうれしいだけではないそうです。
地元を思う強い気持ちが伝わってきます。
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