照ノ富士関は相撲界の頂点である横綱にまで上り詰めました。
横綱になれるのはほんの一握りなので、大変な努力や稽古があったと思われます。
そんな照ノ富士関はどこの高校と大学の出身なのでしょう。
学歴をまとめました。
照ノ富士の学歴
出身高校
照ノ富士関は1991年11月29日生まれで、モンゴルのウランバートル市出身です。
モンゴルでは小・中・高校一貫教育を行う私立のオロンログ校に通いました。
オロンログ校は数学の英才教育学校として有名です。
高校生数名を毎回国際数学オリンピックにモンゴル代表として送り込むなど、非常に優秀な学生を輩出しています。
母親によれば照ノ富士関は勉強がよくでき、数学が得意で、地区の数学の大会でも学校から選ばれるほどだったそうです。
モンゴル国内の数学オリンピックでは、照ノ富士関は中学から出場し、メダルを金1回、銀1回、銅2回獲得したほどの実力でした。
また歌や演技も上手で、何でもできる器用な子供でした。ボール遊びが好きで、チェスもよくやっていたそうです。
オロンログ校の後は照ノ富士関は国立工業大学付属高校に進みました。
そこでは学業成績が優秀で飛び級を認められ、17歳で技術大学に合格しました。
しかし2007年に母親と日本に旅行をしたのが転機になりました。
偶然相撲部屋関係者に声をかけられて、連日稽古を見学したことで、照ノ富士関は大相撲の世界に魅了されたのです。
両親は照ノ富士関が技術者になることを望んでいましたが、照ノ富士関は相撲留学を決断。
2009年3月に来日して鳥取城北高校に編入しました。この学校は全国屈指の強豪校で、伯桜鵬や石浦(間垣親方)も出ています。
照ノ富士関は中学では身内に勧められて、柔道を習っていました。
その身内とは白鵬の父親の弟子で、照ノ富士関は白鵬の父親に「きっと伸びる」と太鼓判を押してもらっていました。
白鵬の父親は元モンゴル相撲の横綱だった人です。照ノ富士関に素質があると感じたのでしょう。
このように照ノ富士関はモンゴルで柔道経験はありましたが、相撲は初心者でした。
そのため照ノ富士関は鳥取城北高校の相撲部で、四股の踏み方やすり足から学びました。
この時から四つに組んだ時の力はすごく、教えてもらったことをすぐに実行できる吸収力があったそうです。
そして入部から5ヵ月後の沖縄インターハイで団体戦メンバーに入り、副将として同校初となる団体優勝に貢献しました。
相撲初心者が半年もたたない内に、実力をつけていたとは驚きです。
照ノ富士関の横綱への軌跡は鳥取城北高校から始まっていたのですね。
出身大学
照ノ富士関は鳥取城北高校の後、2010年に入門しました。そのため大学には行っていません。
勉強ができる人なので、大学に行っていたとしても、技術者などになってかなり稼いでいたのではないでしょうか。
また引退して親方になってから大学院に入った稀勢の里や安美錦の例があります。
二人とも早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の修士課程1年制を修了しました。
さらに照ノ富士関の師匠の伊勢ケ浜親方は近畿大学を中退して入門しましたが、現役中に同大学通信教育課程に再入学し卒業しています。
照ノ富士関は2021年に日本国籍を取得し、引退後は親方として相撲協会に残る意向があるので、引退後に大学に通う可能性はなきにしもあらずですね。
照ノ富士の学歴のまとめ
照ノ富士関はモンゴルの高校に通っていましたが、日本の大相撲に魅了され、鳥取城北高校に編入しました。
そこで初めて相撲を始め、メキメキと力をつけ、角界入りしました。
照ノ富士関は大学には行っていませんが、引退後親方になってから大学に入るということも考えられます。
▼関連記事▼