元霧馬山の霧島関はモンゴル出身で、日本に来て相撲を頑張っていますね。
霧島関の実家の父と母はどんな人で、兄弟はいるのでしょうか。
また霧島関はどんな性格なのでしょう。
出身高校についても調べました。
霧島(元霧馬山)の両親と兄弟
霧島関には母国に両親と兄、妹がいます。
父の名前はビャンブチュルンさんで、羊を飼育する遊牧民です。
母の名前はエンフゲレルさんで、看護師を定年退職となり、現在は父を手伝っています。
霧島関の大関昇進の時に、ご両親が一緒に写っていました。
<新大関!霧馬山>
記念撮影。
新大関の後方はご両親。#sumo #相撲 #新大関 #霧馬山 pic.twitter.com/EbwyHRKhrj— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) May 31, 2023
父はいつも霧島関の取組を楽しみにしているそうです。
一方、母は霧島関の取組を見るのはドキドキするらしく、見ないそうです。
親として息子のことが心配だから、直視できないのはわかるような気がしますね。
兄と妹の写真は見当たりませんでした。
ちなみに霧島関の父方の祖父と母方の祖父はモンゴル相撲の元力士でした。
霧島関は入門するまで相撲の経験はありませんでしたが、祖父の素質が受け継がれていたようですね。
霧島の性格
穏やか
霧島関は遊牧民出身ということもあるのか、性格は穏やかだそうです。同じ遊牧民出身の逸ノ城関ものんびりした性格と言われていました。
素直
霧島関は日本で力士になるテストを受けるため、他の4人と共にモンゴルからやってきましたが、その中で霧島関が性格が一番素直だと、師匠の陸奥親方は見出しました。
そして師匠の指導通りに稽古して、霧島関は強くなったのです。
他の親方も霧島関は純朴で素直な性格で、あまり緊張しないと言っています。確かに顔を見ていたら純朴で素直というのはわかる気がしますね。
親孝行
そもそも霧島関が入門したのは親孝行をしたかったからです。将来は日本に両親を呼びたいという希望も持っていました。
さらに入門時には十両に上がるまではモンゴルに帰国しないと、師匠と約束したそうです。
その約束通り霧島関は十両に上がるまで4年間帰国しませんでした。
帰りたいと思ったことは何度もあったそうですが、両親が悲しむからという理由で我慢したのです。
本当に親思いの人のようですね。
優しい
師匠によれば霧島関は優しいそうです。相撲を見ていても闘志を全面に出すことはありません。
相手が土俵の下に落ちて尻もちをついた時には、霧島関がさっと下に降りていって相手に手を貸し、また颯爽と土俵に戻ったことも。
それを見た私はなんて好青年だろうと。相手を気づかえる優しさがあるんだなあと思いました。
また幕下時代からずっと一緒に稽古してきた若元春関も、霧島関について次のように言っています。
「一言でいうなら究極に優しいと思いますね。なんかあんまり、お相撲さん向きの性格ではない。僕もそうかもしれないですけど…ものすごくおだやか」
お相撲さん向きの性格ではないというところからも、霧島関の穏やかな性格がわかりますね。
本来なら闘争心の強い性格のほうが力士にはいいんでしょうけど。
出身高校
霧島関は始め、モンゴルの地元の高校に通っていましたが、後に大学付属高校に転校し、大学に進学しました。
2014年に知人から日本で相撲取りになるテストに誘われ、興味本位で日本へ来ました。
霧島関はセンスがある上、強くなって親孝行したいという言葉を聞いて、陸奥親方は弟子に取ることにしたのです。
霧島関は幼い頃から父の仕事を手伝い、馬にも乗っていたため、自然と足腰が鍛えられたそうです。
モンゴル出身力士の中には、照ノ富士関や豊昇龍関のように日本の高校に留学して、相撲を学ぶ人もいますね。
霧島関はモンゴルの大学を中退し、陸奥部屋に入門しました。
霧島(元霧馬山)の両親、兄弟、性格まとめ
元霧馬山の霧島関には故郷のモンゴルに両親と兄、妹がいます。
霧島関は穏やかで優しく、素直な性格で、親孝行な人みたいですね。
故郷の家族と自分の新しい家族のために、霧島関は相撲を頑張っているのでしょう。
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