
安青錦関の左肩から背中あたりに茶色っぽいあざのようなものが見えます。
結構目立つので、一体何かと気になっている人も多いでしょう。
肩や背中のあざはもしかするとタトゥーを消した跡なのでしょうか。
調べてみました。
安青錦の背中と肩のあざはタトゥー?
安青錦は10代の時には背中と肩にあざ
安青錦関は低い攻めからの相撲で、あっという間に番付を上げてきました。
その活躍ぶりが目立ちますが、同時に左肩から背中にかけての茶色いあざのようなものに気が付いた人も多いでしょう。
ケガしただけなら時間がたてば薄くなるでしょうが、安青錦関が入門する前から左肩から背中にかけてあざがありました。
当時15歳の安青錦関の映像があります。それがこちら(3分過ぎに見えます)。
日本では銭湯など公共のお風呂で「タトゥーをしている人はお断り」となっているように、タトゥーは悪い人がするものというイメージがあります。
日本ではタトゥーは18歳未満は禁止で、EUの多くの国では親の同意があれば16歳、そうでなければ18歳になるまでタトゥーを入れることはできません。
安青錦関の出身のウクライナはEUに加盟していないので、タトゥーを入れるのに年齢制限があるのかどうかはわかりません。
しかしウクライナにはタトゥーをしている人が多く、タトゥーはおしゃれのような感覚だそうです。
安青錦関の肩や背中のあざはタトゥーを消した跡なのでしょうか。
外科的な治療方法をとると、タトゥーの傷跡は残るそうですが、安青錦関の場合、絵柄などの模様の跡が見えるわけではないので、タトゥーの可能性は低そうです。
安青錦の背中と肩のあざはベッカー母斑?
そうすると安青錦関は子供の時にやけどかなんかして、背中と肩に大きな跡が残ってしまったのでしょうか。
でも場所的にやけどというのも考えにくそうです。
また生まれつき茶色のあざがあったり、思春期にあざができる人もいて、そのあざを「母斑」と呼ぶようです。
生まれつき、または生後できる茶色いあざは扁平母斑といい、中高生になってから出現する場合は遅発性扁平母斑と呼ばれます。
思春期以降の男子に多く、肩の周囲や胸の前側で毛をともなうものをベッカー母斑と呼びます。薄くなることはなく、自然消滅はしません。
安青錦関は思春期ですでに背中や肩にあざがあったことと、あざのある方の左肩に毛が生えているところを見ると、ベッカー母斑の可能性が高そうです。
安青錦の背中と肩のあざはタトゥー?のまとめ
安青錦関の背中と肩のあざはタトゥーを消した跡ではなく、思春期以降の男子に多いベッカー母斑と言われるものかもしれません。
あざはレーザー治療などしない限り、消えることはないようです。
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