
欧勝海関は大の里関と同じ出身地で知られています。
そんな欧勝海関の実家は「やたの湯」ですが、実家の両親はどんな人で、兄弟は何人いるのでしょうか。
欧勝海関の実家の家族、大の里関との関係についてまとめました。
欧勝海の実家
欧勝海関は2001年5月12日、石川県河北郡津幡町で生まれました。
本名は深沢成矢(ふかさわせいや)さんです。
欧勝海関の実家は上矢田(かみやた)温泉「やたの湯」を経営しています。
上矢田温泉 やたの湯(石川県津幡町)で入浴??
食事処と居酒屋が併設した銭湯。800年の歴史を持つ由緒ある冷泉です
メタケイ規定の冷鉱泉を加熱利用。スベスベする浴感は傷の湯の証かな
ここは十両欧勝海関の実家。来場所は新入幕の掛かる正念場。先輩の大の里関に続いて頑張れ?? pic.twitter.com/Ym3ndzwGV0— ??きんかんなまなま?温泉篇? (@namanama_onsen) July 6, 2025
1183年の倶利伽羅源平合戦で、木曽義仲に敗れた平維盛がこの湯を見つけ、傷を癒したのが始まりと伝えられ、1907年に開業しました。
この温泉は50年前に閉鎖されていましたが、1998年に経営者の中川利雄さんが再建したそうです。
中川さんの後に、欧勝海関の両親がやたの湯を継いだのでしょうか。
津幡町観光協会によると
昔からアセモやデキモノによく効くと評判で、湯治場(とうじば)として地元の人に利用されてきました。
同施設には温泉の他に、お食事処や宴会場、別棟に囲炉裏のある宿泊棟もあります。
秋から冬にかけては、地元で獲れたイノシシやクマなど野趣あふれる鍋料理も堪能できます。
となっています。
1日ゆっくりできそうですね。温泉もそうですが「イノシシやクマ」の鍋が気になります(*´ω`*)
「やたの湯」の食事は安くておいしいそうです。
2025年4月には津幡町で55年ぶりに巡業が行われました。
その時欧勝海関は「実家にも帰ってゆっくりできました」と話しました。
やたの湯で疲れを癒すことができたのでしょう。
こちらにやたの湯の基本情報を載せておきます。
住所:石川県河北郡津幡町字上矢田ハ22
TEL:076-289-7290
営業時間:平日 16:00~21:00 土日 12:00~21:00
定休日:月曜日(祝日なら翌日)
料金:大人500円 小人200円
欧勝海の両親
欧勝海関の父親と母親はやたの湯を津幡町で経営しています。
父親の名前は正人さんで、年齢は不明です。母親の名前や年齢はわかりませんでした。
両親は欧勝海関にそっくりらしいです。
やたの湯には欧勝海関ののぼりなどが飾られているようで、両親が応援している様子が伝わってきますね。
両親は常連さんたちと相撲の話で盛り上がっているのではないでしょうか。
欧勝海関のファンならぜひ立ち寄りたくなりますね。
欧勝海の兄弟
欧勝海関は3人兄弟で、兄と妹がいます。
兄の名前や年齢は不明ですが、実家のやたの湯で両親と一緒に働かれているようです。
欧勝海関が相撲を始めたのは兄の影響でした。
妹の名前は千夏さんですが、年齢は不明です。
こちらに欧勝海関の父親と妹さんが写っていました。
幼少期、父と妹と。
兄弟は、兄と妹がいる。
兄弟喧嘩は「チョコチョコ」やっていたとのことだが、いまは仲良くやっているそう。〔新十両紹介 欧勝海〕 #五日目 #sumo pic.twitter.com/TBeeetLzL7
— くるくるおばけ@ブログ「大相撲取組内容」 (@kuru2obake) January 19, 2024
兄弟仲が良さそうなので、きっと両親と一緒に欧勝海関を応援されているのでしょう。
欧勝海と大の里
欧勝海と大の里は幼なじみ
欧勝海関と大の里関は同じ石川県河北郡津幡町出身です。
欧勝海関は大の里関の1歳下で、二人とも津幡町少年相撲教室に通っていました。
欧勝海関は当時、年上の大の里関を「(本名の)泰輝君」と呼んでいたそうです。
引用:日刊スポーツ
上の写真は2011年8月の日付になっているので、欧勝海関が小学4年、大の里関が小学5年の時ですね。
欧勝海の憧れ・大の里
欧勝海関は地元の中学、大の里関は新潟の中学へ入学しましたが、欧勝海関が中学3年生の時、新潟の海洋高校1年生だった大の里関と再会しました。
進路が決まっていなかった欧勝海関は、憧れの先輩だった大の里関に「海洋高校、どう?」と誘われて「強くなるためにはそこしかない」と、海洋高校に行くことにしたのです。
もしその時大の里関に声をかけられなかったら「大相撲の世界にいなかったと思います」と、入門後に欧勝海関は話しました。
そして欧勝海関は新十両会見で、大の里関について次のように言っています。
いずれ幕内で(大の里と)相撲を取っていきたい。アマチュアの時から尊敬してましたし、プロに入ってからも周りと力が違う。お手本にするように意識して見てました。差をつけられてるので、まず追いつきたい。
引用:中日スポーツ
大の里関という目標とする力士がいるからこそ、欧勝海関は上を目指そうと頑張れるのでしょう。
2024年9月場所で大の里関が2度目の幕内優勝を果たした時、パレードの旗手を務めたのが欧勝海関でした。
本来なら同じ二所ノ関部屋の白熊関が旗手を務めるはずでしたが、白熊関が休場したため、二所ノ関一門である欧勝海関に白羽の矢が立ったのです。
前夜に大の里関自身からも直接電話で頼まれたそうで、欧勝海関は
「大の里関は、今も昔も、ずっと憧れの人。うれしいですし、光栄です」
と、オープンカーに乗車前から目を潤ませて話していたそうです。
うらやましいとか先に優勝をされて悔しいという気持ちはなく、純粋に欧勝海関はうれしかったんですね。
大の里関も旗手を欧勝海関にやってもらって「すごくうれしかった」と話していました。
二人は同じ地元の幼なじみということで、大の里関は感慨深かったのかもしれません。
欧勝海の実家の両親、兄弟、大の里との関係のまとめ
欧勝海関の実家は上矢田温泉「やたの湯」を経営しています。
欧勝海関には兄と妹がいて、欧勝海関は兄に影響を受けて相撲を始めました。
現在両親と兄がやたの湯で働いています。
妹さんは何をされているかはわかりませんでした。
欧勝海関にとって大の里関は憧れの人で、大の里関に誘われて同じ高校へ進学し、角界入りしました。
大の里関に声をかけられなかったら、現在の欧勝海関はいなかったのです。
欧勝海関は幕内で大の里関と相撲を取ることを目指しているそうです。
大の里関も対戦を待ち望んでいるのではないでしょうか。
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